ことばと文化のミニ講座

【Vol.77】 2013.12   青山 英正

おみくじと和歌

「当たっているかも」と思わせるしくみ

皆さんは、神社や寺院で一度はおみくじを引いたことがあるでしょう。もちろん中には、占いなんて信じない、と頑なに引かない人がいるかもしれません。私も若い時分はそうでした。科学的に考えれば、将来のことが紙切れ一枚で言い当てられるはずはありません。また、そもそも運命などというものが存在するのかすらあやしいと思えます。しかしこの私も、近頃おみくじというのは案外おもしろいものなのではないか、と考えるようになりました。そして、旅行などで神社仏閣に参詣するたびにおみくじを引いています。それを知った学生たちも、各地で引いたおみくじを持ってきてくれるようになりました。おかげで少しずつですが、コレクションが増えつつあります。

確かに、おみくじは一枚の紙切れにすぎません。しかし、私がおもしろいと考えるのは、ここに書かれている言葉がひょっとしたら将来の運勢を言い当てているかもしれない、ここに何かしら人知を超えた力が宿っているかもしれない、と人に思わせる紙切れだ、という点にあります。以前このコラムで、観相学(人相学・面相学)について書いたことがありますが(Vol39)、観相学が、医学や宗教、科学の言葉を取り入れて説得力を持たせながら、身体の各部位の形状という目に見える表層から運勢や性格といった目に見えない深層の意味を導き出すのと同様、おみくじにおいては、紙切れの言葉に見えない神仏や運命の力を感じ取らせるしくみがあります。たとえば、あなたが仲のいい友人から、雑談中に、「今日の運勢を書いてあげるね」とメモ用紙に書いて渡されても、あなたはそこに書かれている「運勢」を心から信じる気にはなれないでしょう。余白に別の落書きをするか、後でちょっとしたメモに使うかしてしまうかもしれません。一方、おみくじはと言えば、机の引き出しにしまったり、財布に入れたり、境内の枝に結びつけたり(あるいは私に届け出たり)と、はるかに丁寧に扱われます。私のように、「凶」のおみくじをためこんでいると、「縁起でも無い」「ばちが当たりそう」といった気持ちにもなります。

この違いはどこからくるのでしょうか。一つは、その言葉が伝えられる空間の神聖性、要するにおみくじを受け取るのが神社仏閣という聖なる空間だという点。そしてもう一つは、その言葉そのものがまとっている神聖性です。つまり、言葉に日常とは異なる重々しさが感じられるのです。たとえば、「~しなさい」といった命令形の多用、「願いは叶う」といった断定の口調、「~べからず」といった文語体の使用なども、内容に説得力をもたせるしくみの一つです。その中で、今回は、おみくじの多くに使われている詩歌の役割に注目したいと思います。

おみくじの本文はどこにある

高幡不動尊(右)と京都蛸薬師(左)のおみくじ

ここに掲げた写真は、高幡不動尊(右)と京都蛸薬師(左)のおみくじです。右には漢詩が、左には和歌が一首記されています。最近のおみくじには詩歌が記されていないことも多いですし、おみくじを引いても、そこに記されている詩歌にまで目を向ける人は少ないと思いますが、これらの詩歌が実はおみくじの本文です。神仏は、詩歌の形で人間の運勢を告げます。そして、その大意を散文、すなわち人間の日常言語に翻訳して解釈と全体的な教訓を述べ、さらに人々にわかりやすいように、「大吉」「吉」などとランク付けした上で、項目別の解説や教訓を付す、これがおみくじの基本構造です。

左の蛸薬師のおみくじを見てみましょう。

まず、

ときくれば枯木とみえしやまかげのさくらも花のさきにおいつつ

という歌が記され、その意訳とそこから導き出される全体的な教訓が次のように記されます。

初めは冬の枯木の葉おちて花もなく淋しく此末如何なろうかと気遣うも其内に春となって花さく如く末よき運なり何事も慎め退屈せず時をまてば必ずよし

初めは厳しいがやがて事態は好転するから今は何事にも慎んでいなさい、と言うのです。その上で、この運勢は「大吉」だとし、初めは良くないが後から良くなる、という上述の大意に即した項目別の診断がなされていきます。例えば「願望(ねがいごと)」ですと、「初めは思わしくないが後は必ずよし」、「待人」なら、「おそいが来る」といった具合です。

和歌の形で発せられた神様の言葉が、翻訳と解釈によって人間の日常生活の地平に下ろされ、指針として生かされるわけです。

神様は歌を詠む

では、なぜ神様はわざわざ歌を詠むのでしょうか。
実は、最初に歌を詠んだのは神様でした。『古今和歌集』仮名序によれば、スサノオノミコトが詠んだという「八雲立つ出雲八重垣妻籠めに八重垣つくるその八重垣を」が三十一文字の起源とされています。『新古今和歌集』にも、日吉(ひえ)神社、住吉大社などの神々が人の夢に現れて詠んだとされる歌が収められています。日常的な口語・散文表現に対し、韻律を伴い、豊かなで重層的なイメージとそれゆえに散文へは置き換え尽くせない多義性を持ち、たった三十一音で深い感動をもたらす和歌は、特別な力を持つ言葉にほかなりませんでした。神は歌を詠んで人に意思を伝え、人もまた、神に対して歌を詠みました。雨乞いで歌を詠んだら神仏がそれに感じて雨が降った、宿願がかなった、といったいわゆる歌徳説話は枚挙にいとまがありません。歌は、神と人とが交流するための言葉でもあったのです。
したがって、歌と占いとの結びつきも昔からありました。歌占(うたうら)と呼ばれるもので、これには、巫女などが神の意思を歌によって伝えるもの、弓に結びつけた短冊の中から任意に一枚を選ぶもの(謡曲の「歌占」)、賽を振って出た数に対応する歌を書物から探すもの(龍門文庫蔵『歌占』)、目をつぶって書物を開いてその中を適当に指さし、そこに書かれている歌から占う(早稲田大学蔵『百人一首倭歌占』)など、いくつかの占い方があります。
中国でも事情は同様で、「天竺霊籤」「元三大師御籤」など、観音菩薩のお告げが漢詩で書かれていました。先ほどの高幡不動尊のおみくじは、その系統を引くものです。また、蛸薬師のおみくじは他の寺社でもよく見かける形ですが、山口県の女子道社というおみくじの最大手企業が製作したもので、それを設立した人物が明星派の歌人であったために和歌を載せるようになったとのことです。しかし、おみくじに歌を載せるという発想の背景に歌占の伝統があったことは間違いなく、そこに「元三大師御籤」の体裁が組み合わされて、現在のおみくじの定型が完成しました。名古屋の蓬左文庫には、『天満宮六十四首哥占御鬮』(寛政十一年刊)が所蔵されており、その体裁は、漢詩が和歌であること以外は「元三大師御籤」の諸本ときわめて似通っています。

神様の言葉と教訓との間

先ほどの、「ときくれば枯木とみえしやまかげのさくらも花のさきにおいつつ」という歌に戻ってみましょう。神様が歌を詠むのはよいとしても、考えてみれば、この歌を言葉通り受け取れば、枯木と見えた山かげの桜も春が来て咲き匂っている、ということしか言っていません。そこから、「何事も慎め退屈せず時をまてば必ずよし」といった人生の教訓を導き出す解釈は、明らかに深読みのしすぎで、国語のテストなら×が付くところです。  しかし、自然詠から教訓を導き出す読み方も、伝統的な和歌解釈では江戸時代まで盛んに行われていたものです。

藤井懶斎という江戸時代の儒学者が編んだ『蔵笥百首』(寛文年間〈一六六一~一六七三〉成立)には、『百人一首』で知られる次のような歌が載っています。

あひ見ての後の心にくらぶればむかしはものを思はざりけり

これは本来恋の歌で、恋する相手と契りを交わす前の苦しい気持ちは、交わした後と比べるとたいしたものではなかった、といった意味ですが、懶斎はこれを、嫁入り前の女性への教訓と結びつけます。

げにも、昔親のもとにありしき時は、ものは思はざりしとも思ふべし。とにもかくにも、女は安き事なき物と知り、苦しきを苦しきとも思はぬがよきなり。

親のもとで厳しいしつけを受けている今は辛いと思うだろうが、嫁入り後はそれと比べものにならないくらい辛い思いをするものだ。だから今の苦しさを苦しさと思わぬがよい。このように説くのです。

なるほど、上の歌は「心」が恋心であると限定していない。かといって教訓的な意味があるという根拠もどこにもないのですが、強いてそう読もうと思えば読めなくもありません。少なくとも、嫁入り前の女性に対して恋心を説くよりは、苦労を辛抱しなさい、という教訓を説いた方が、実生活上は役立つことになると言えましょう。

このように、字義通りの意味の裏に実用的な意味を読み込むのは、中世から盛んに行われてきました。例えば、『古今和歌集』や『万葉集』の四季の歌から政治的な戒めや女性としての身だしなみの教訓などが導き出されるのです。強引に過ぎると思えるものもありますが、ある意味、はるか遠い昔に詠まれた古典和歌を現実生活に生かす方法として、有効ではなかったかとも思えます。現代の我々も、ある小説を読んで自分なりの教訓をそこから読み取る、あるいは政治的なメッセージを読み取る、ということはしばしば行っているのではないでしょうか。

そもそも、詩歌とは常に日常言語には置き換えきれない多義性を含んでいます。そして、それゆえに謎めいた神秘性を持っています。そうした神秘的な言葉を、翻訳と解釈を通じて現代に生きる人々の日常生活のレベルに降ろし、活用する。その翻訳と解釈をおこなうのが神に使える者であれば占いとなり、儒者であれば教訓となるだけであって、両者に本質的な違いはないように思われます。

学科の取り組み