柴田 雅生 教授 「文化」という語の意味をめぐって——語義の変化を捉えるということ

背景

 二十世紀の終わりごろに三省堂書店から出版されていた本のシリーズに、「一語の辞典」というものがありました。本の帯には、「「ことば」にはドラマがある。」というコピーが掲げられ、それぞれ一語を取り上げて、その来歴や社会的意味などが語られていました。残念ながら20冊、つまり20語に達したところで刊行を終えたかたちとなっていますが、継続していれば相当なものになっていたでしょう。

 その第一回目の配本は「文化」「心」「技術」の三冊。「文化」はシリーズの編集委員でもある柳父章氏の手によるものです。文化翻訳に関する多数の著書がある柳父氏らしく、漢籍由来の「文化」に近代の翻訳語である「文化」が重なって定着していくさまを描いています。

「富士山」は「文化」か

 今回、「文化」という語を取り上げるのは、日本文化学科という学科名称に含まれる語であるというだけでなく、ここ数年、「文化」という語に関わる報道が目立つように思われるからです。

 例えば、2013年には、富士山とそれにまつわる史跡が世界文化遺産に認定されました。当初は世界自然遺産の登録を目指していたものの、登録基準の達成が困難だという理由で、自然遺産登録に切り替えたことが報道されていました。登録名称は「富士山 — 信仰の対象と芸術の源泉」。その文言だけで見ても、山岳信仰の対象としての富士山であり、絵画等に描かれた富士山ですから、それらをまとめて「文化」と呼ぶことが成り立たないということはないでしょう。

 しかし、一方で、このような考え方は「文化」という語が指し示す範囲を広げたことの現れとも言えるでしょう。富士山そのものは自然物ですが、それにまつわる人間のさまざまな心情や活動に重点を置いて、富士山という存在を捉えていると見なせるからです。人間が認識したものはみな少なからず文化的なものと言える可能性が生じたということにもなります。富士山の世界文化遺産登録と同じ年の暮れには、「和食」がユネスコ無形文化遺産に登録されたというニュースもありました。

 また、こんな報道もありました。女子サッカーの日本代表主将である宮間あや選手が、昨年夏開催の女子サッカーワールドカップ大会後に、「女子サッカーを(ブームではなく)文化にしたい」と語ったと言います。ここでの「文化」とはどんな意味なのでしょうか。統計的に調べたわけではありませんが、報道で比較的目立つのは上記でカッコ内に入れた「ブーム」と対比されるものとしての「文化」という見方です。しかし、「社会になくてはならないもの」(2016年3月10日付朝日新聞・スポーツ面)という解釈もあるようです。両者は似ているようでいて、若干の違いを見ることができます。宮間選手の発言の真意はここでは措くとしますが、同じ発言を元にしていながら必ずしも同じ意味で理解されているわけではないのです。

「文化」という語の複層性

 報道はその時々のものですから、それによって「文化」という語の意味についてあれこれ言うにも限界があるのかもしれません。しかしながら、これまでの研究によって明らかにされた「文化」という語の来歴を踏まえると、その意味がさまざまに解釈されるのも無理からぬ話だと思えます。

 冒頭で取り上げた柳父章氏の著書によれば、「文化」は中国古典から日本語に採り入れられたもの。したがって、その意味は「文」と「化」の組み合わせであり、「文化」とは「文」によって人民を教え導いていくこととなります。日本最大の漢和辞典である諸橋轍次『大漢和辞典』では、「刑罰威力を用ひないで人民を教化すること。文治教化。」と説明しています。ここでの「文」とは「武」に対するもの、すなわち非武力ということが重要な要素になっています。現代では、この用法はほとんど見られなくなっているのかもしれませんが、校訓などで使われる「文武両道」の「文」を思い浮かべてもらえれば、その片鱗はまだ感じ取れるのではないかと思われます。

 これに対して、近代の翻訳語である「文化」は、ドイツ語「クルトゥール(Kultur)(=英語のcultureに相当)」の訳語としての「文化」、こちらは人間の精神的活動やその所産を示し、現代ではおおむねこちらを意味すると受け取られるでしょう。しかし、KulturまたはCultureが日本に輸入された当初は、必ずしも現代語の意味での「文化」に翻訳されていたわけではないことはよく知られた事実です。

 例えば、明治時代の中頃の辞書を見ると次のように記されています。 

Culture, n, Gakumon, Kyō-iku, fūga.(J・C・ヘボン『和英語林集成』第三版・英和の部、1887(明治19)年刊)
ぶんくわ(名) 文化(文明開化を謂ふ)(高橋五郎『和漢雅俗いろは辞典』、1889-90(明治21-22)年刊)
ぶんくわ(名) 文化 文学教化ノ盛ニ開クルコト(大槻文彦『言海』、1890-92(明治22-24)年刊)

 ヘボン式ローマ字綴りで知られるJ・C・ヘボンの辞書では「学問、教育、風雅」という日本語に訳されています。このことは当時の英語Cultureが現代のような意味ではなかったことを示しています(当然ながら外国語にも変遷があります)。一方、近代的な国語辞書の出発点となった『言海』では「文学教化(=学問・教育)」が盛んになることと説明していますが、中国古典からの「文化」の使い方と言ってよいでしょう。『和漢雅俗いろは辞典』の「文明開化」も、『言海』同様に中国古典の使い方に基づくものでしょう。それと同時に、「文化」がかつては「文明」と区別されていなかったこともわかります。

 現代の「文化」の意味は、柳父氏や哲学者・三木清(「科学と文化」、1941年)が指摘するように、大正時代に、ドイツ語から採り入れられました。時代は少し下りますが、ドイツ語辞書では次のように記されています。

Kultur f. –en, 耕作[ein Stück Boden in ~ nehmen = 少シノ土地ヲ耕ス]栽培;培養;文化,文明[materielle(geistige) ~ = 物質文明(精神文化)];洗練スル事[die ~ der Sprache = 言葉ヲ洗練スル事];教養[ohne Kultur = 教養ナキ(人)](『コンサイス独和辞典』、1936(昭和11)年刊)

説明文中の「materielle(geistige) ~ = 物質文明(精神文化)」からは、明治時代にはほとんど区別されなかった「文化」と「文明」が、この頃から物質面=「文明」、精神面=「文化」という差異がつけられていくようになることもわかります。

さらには、ほぼ同じ時期から、俗な意味用法が見られるようになります。

ぶんか[文化](名)(1)世の中のひらけすすむこと。(2)[Culture]自然を純化して理想を実現せんとする人生の過程。其成果の産物は学問・芸術・道徳・宗教乃至法律・経済等すべてこれなり。(3)西洋かぶれなること。新しがること。(『広辞林』、1925(大正14)年刊)
ぶんか[文化](名)(1)世の中が開け進むこと。(2)自然を材料として人類の理想を実現して行く精神の活動。(3)西洋にかぶれること。(『明解国語辞典』、1943(昭和18)年刊)

 今となっては想像がつかないかもしれませんが、西洋に追随することを揶揄する使い方が(3)の用法として登場しています。しかし、この使い方は、現行の国語辞書にも「—生活」「—住宅」「—鍋」などの例を伴って説明される意味(1)と表裏一体のもののように思え、決して過去の遺物とは言えないだろうと思われます。

「文化」という翻訳語とその内実

 柳父氏は前掲の著書で「文化」の翻訳語としての特性を強調します。その特性とは、柳父氏が『翻訳語成立事情』(1982年)において「カセット効果」として示されたものです。「カセット」とは宝石箱のこと。宝石箱の中身(意味)がわからないながらも、宝石箱(語のかたち)が小さくて綺麗であるため、中にはすばらしい中身(意味)が入っていそうだと思える効果を言います。

 カセット効果は、翻訳語だけでなく、外来語や漢字語などにも指摘できます。抽象度の高い内容をもつ語であればなおさらのこと。在来のものとは異なる外来の語形や表記形態が、その中身を本来の意味とは別のものに変化させることは、語による違いはあれども、確かに言いうることでしょう。

 その上で、今後求められることは、一語の語誌をより精細に捉えるために、カセット効果が個々の語においてどのように具体的に現れているかを明らかにすることでしょう。「文化」で言えば、最近の報道等も含めて、どのような使われ方をしているのかを記述し続けること。その中に変化の兆しとそれに影響を与えたものを見出すことだと考えます。

 まだ局部的な使用に留まりますが、「文化」は人間以外に対しても使われます。『新明解国語辞典』第七版(2012年)には、「また 最も広い用法では、芋を洗って食べたり 温泉に入ることを覚えたサルの群れなど、高等動物の集団が後天的に特定の生活様式を身につけるに至った場合をも含める」という説明が加えられています。この説明は、文化人類学の議論を踏まえたものと理解されますが、

知識、信仰、芸術、法律、慣習および人間が社会の一員として獲得したすべての能力と習慣を含む複合的全体(『文化人類学事典』(2009年刊)で紹介されるE・タイラーの文化の定義)

 とあるように、学術的にも正式に位置付けられたものとはまだ言えないようです。

語義の変化のしかた

 語の意味のことを語義と言います。語義は変化することがありますが、その具体的な変化の過程はそうそう捕まえられるものではありません。多くの場合は気付いたら変わっていたというものでしょう。なぜ捕まえにくいのか。それは語義が決して明文化されたかたちで理解されていないからと考えられます。

 少しわかりにくいと思われますので、たとえを用いてみます。

 以前のフィギュアスケートには、規定という種目(コンパルソリーフィギュア)がありました。氷上に引かれた図形をどれだけ正確にたどることが出来るかを競うものでした。語義をこの競技で氷上に描かれた図形にたとえ、言葉を使うことをその図形に沿ってトレースすることになぞらえることとします。

 言うまでもなく氷上は滑りやすいものです。図形を正確にたどろうとしてもどこかしらずれてしまうでしょう。正確無比にトレースすることは不可能です。けれども、図形から大きくそれることはあまりない。許容範囲内に留まることが大半だと考えられます。ところが、氷上の図形というたとえを使いましたが、語義は実際には目に見えません。どこがどの程度ずれたのか容易には気付かないと言っていいでしょう。そのうちに、正確にトレースしているつもりでも大きくそれてしまい、トレース跡がまったく別の図形になってしまう。これが固定化すれば語義が変化したと言えるということです。

 大げさに言えば、語義はいつも変化の可能性を秘めています。それは言語が使われるものである以上、言葉の宿命とも言えるでしょう。しかし、全体から見れば語義が変化する語はほんの一部です(みんなが一斉に変化したら一大事です)。そんな中で、何故、ある一語が変化するのか。「一語の辞典」の意図するところは、今でも追究すべき対象であることに変わりありません

 
 

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