ことばと文化のミニ講座

【Vol.69】 2013.1   元本学科教員 上原 麻有子

近代日本の哲学者、西田幾多郎にとって「自己」とは何であるか

今回は私が担当する最後のミニ講座ですが、「自己」という問題を扱ってみたいと思います。哲学の分野では、最も基本的で大きな問題とされるものの一つです。哲学者によって考え方は異なりますが、ここでは、近代に生きた西田幾多郎(1870-1945年)が、「自己」をどのように捉えていたのかについて見てみましょう。

19世紀終わりに西田が青春期を過ごした時代、「自己」、あるいはそれと切り離せない関係にある「個人」は、西洋から入ってきたばかりの資本主義、帝国主義、産業革命、さらには哲学などの学問の影響を強く受けました。大変大ざっぱな言い方ですが、科学や合理主義に基づくのがこのような西洋の近代的思考です。それによって日本人は、近代以前の封建的世の中に組み込まれるのではない「自己」や「個人」について深く考え始めました。その一つの具体的な形としての例が、自由民権運動の高まりです。

ところで、「自己」は伝統的に仏教において探究されてきた言葉であり、概念です。しかし、「個人」の方はもともと日本語にあった言葉ではなく、幕末期頃から英語の辞書に掲載され始めたindividualの翻訳語です。明六社の思想家も、当時の日本人には分かり難かったこの概念を日本語で表現するのに苦労したようです。中村正直は「人民一箇」や「自己一箇」などと、また福沢諭吉も「人」、あるいは「人各々」、「人民」などと、それぞれ様々に訳出しました。それから「一個人」や「独立一個人」という翻訳も現れますが、「個人」が使われるようになるのは1890年代になってからのことでした(注1)。

さて、1890年、西田はちょうど20歳。出身地の石川県にある第四高等中学に在籍していました。しかし、当時の新しい学制により設立されたこの学校の教育に不満を抱き、同志と共に中途退学してしまいます。日本はすでに政策を転換し、自由民権運動を抑え保守的精神の育成に専念していた時期にあたります。近代化の初期、1870年代にはイギリス、フランスの思想や社会制度を主に摂取していましたが、80年代になると保守的なドイツの国家体制に注目、プロシア憲法に学び、89年には日本帝国憲法が発布されます。そして1894年から1911年に、西洋列強と結んでいた不平等条約の改正も進み、ついに各国との平等を回復するに至ります。この間に日清戦争、日露戦争が起りますが、近代的自我の形成はその10年間になされたという見方があります。近代国家建設の下、自由な個人あるいは自己は抑圧され内面化に向かいました(注2)。進歩的な西田が四校を辞めたその背景には、このような歴史的事情があったのです(注3)。

西田の体制への断固たる反発は、その後約10年にわたる彼自身の「自己」形成と内面化の出発点となりました。その苦渋と混乱に満ちた年月が、哲学者西田を準備したのだと言えるかもしれません。東京帝国大学に進学したものの、四校退学が原因で本科生にはなれず、予科生として身分や待遇の上で差別を受けた学業期を過ごします。卒業後、金沢に帰郷しますが、加賀藩時代、大庄屋であった家は破産しており、それがために父との確執と断絶、自らの結婚、離婚、復縁などの問題が続き、さらに就職の問題が重なるという不安定な生活を強いられます。四校のドイツ語担当講師となった1896年、洗心庵の雪門老師に参禅、それから約10年、西田は日夜禅に打ち込むことになります(注4)。若き学者にとって将来見通しの明るい環境に置かれてはいません。禅は、学問と内面生活を鍛えるための修行であったのです。また学問における西田の思索は、西洋哲学を徹底的に研究することでその土台ができあがったと言えます。さまざまな社会的野心が起るなか、西田は自戒し、学問と打座に専念しようとしたようです。1903 (明治36)年6月11日の日記には次のようなことが書かれています。

……起信論一巻読了。余は時に仏教の歴史的研究をもなさんと欲す。余はあまりに多欲、あまりに功名心に強し。一大真理を悟得して之を今日の学理にて人に説けば可なり。此の外の余計の望を起すべからず。多く望む者は一事をなし得ず(注5)。

禅における「自己」とは、向かい合っている対象に融合するような自己ですが、自分自身の状態を極限にまで駆り立てなければ、その所謂悟りには達しないのです。そのような自己は、物という対象から明確に区分された実体ではあり得ません。しかし、先に見た西洋近代の合理的、科学的な思考法の基本は、逆に「自己」対「物」の対立からなるのです。

さて、金沢での西田の修行時代も、1909年の学習院教授への任命、そして翌年の京都帝国大学助教授への任命をもって終了します。1911年には、第一の哲学書『善の研究』が刊行されますが、これはまさに、修行時代、西田が積み上げた勉強の成果なのです。哲学者のみならず、倉田百三や芥川龍之介などの文学者、ほか一般に広く影響を与えたこの書は、今日、なお読み継がれています。「純粋経験」ということが中心テーマですが、それは冒頭で以下のように説かれます。

経験するというのは事実其儘(そのまま)に知るの意である。……純粋というのは、普通に経験といって居る者もその実は何らかの思想を交えて居るから、毫(ごう)も思慮分別を加えない、真に経験其儘の状態をいうのである。……我がこれを感じて居るとかいうような考のないのみならず、この色、この音は何であるという判断すら加わらない前をいうのである(注6)。

ここに、「自己」と「物」の対立とは異なる思考の枠組みが示されているのを読み取ることができます。それが実は、西田がその後発展し深めてゆく独自の哲学の根本原理となってくるのです。もちろん、「自己」も純粋経験の思考法に則して捉えられなければなりません。

通常私たちは、各自身体をもっているため、自分とは輪郭で囲まれたこの肉体に収まっているものを指すと思っているのではないでしょうか。確かに、そうとも言えるでしょう。しかし、自分が考えること、思うこと、感じることの側、つまり意識や意志の方から見たらどうでしょうか。そこには限界がないのではないか。西田は座禅の修行を通して、無限に働く意識、さらに、それを突き抜けたところに現れる悟りを体験したに違いありません。また、無限に働く意識への注目は、西田自身が「純粋経験」の研究ノートに記しているように、金沢時代に親しんだ「唯無限其物を象徴化した〔と〕のみ思われる波濤の動き(うねり)や大空を行く雲の形や遠く能洲の山々にこめたもやにうつれる幽微なる日の光の無限なる変化」(注7)からヒントを得たことによるのではないでしょうか。

西田は、無限に働く意識を「自覚」という言葉で言い表すようになります。したがって、「自己」は、「自覚」というあり方で現れてくるものなのだと考えられます。その「自覚」は哲学的に言えば、西洋哲学でも扱っていた自己反省で、自己が対象としての物を反省するということです。物を認識する、知るという問題です。この場合、「物」はどうしても「自己」を離れた外側の物ということになります。しかし、西田は「無限にどこまでも働く」という点を強調し、「自己が自己を考える」とか「自己が自己を反省する」と言い換えます。そこで参考になったのは、ロイスの無限系列の発展という考え方です。英国にいながら完全に英国の地図を写すとすると、写している自分を含んだ一枚の地図を写し終えるや、すぐ、さらにまた完全な地図を写すという新たな企図が生じてくる。こうして、無限に自己が自己を写し続けるのだというのです。西田は「自覚」を次のように説明します。

自己が自己を反省する即ち之を写すというのは、……自己を離れて自己を写すのではない、自己の中に自己を写すのである。反省は自己の中の事実である、自己は之に因って自己に或物を加えるのである、自己の知識であると共に自己発展の作用である。真の自己同一は静的同一ではなく、動的発展である……(注8)。

「自己が自己を反省する」場合、反省する自己と反省される自己があるのです。反省する自己は、すぐに、より深く反省する自己の対象として反省される自己となります。こうして反省がどこまでも深まり、「自己が」と「自己を」が合一する自覚の完全な段階に至ります。これが「直観」ということです。

自覚においては、「反省」と「直観」という矛盾が共に起こってくる事態だということが分かります。西田が哲学の領域にまで取り込んだ「直観」は、先に見た、判断や反省の少しも加わらない「純粋経験」の事実ということでもあるのです。突然鳴り響いた電話の音に、何が起ったかをすべて了解した、というようなことがあるとします。音という瞬時の事実にすべてを直観したということです。反省はその直観の後にくるでしょう。あるいは、逆に反省を深めるうちにぴんとくる、直観するということもあるでしょう。いずれにせよ、言語表現を絶したところにあるのが直観です。それを言葉にしようとした瞬間、もう事実には反省が交ります。西洋では、西田ほどラディカルに、言語表現を絶した直観をも哲学の問題として扱おうとはしてこなかったと言えるでしょう。

西田にとって「自己」とは、「自覚」によって実現するものです。その原理は無限の反省ということですが、そこには、物事をどこまでも徹底して検討し、まだ見えなかった側面をも見出そうとする力が秘められているように思われます。自覚のない反省は、常識に止まった個性に乏しいものでしかありません。困難に向って、もう一歩反省を深め、未だ思考として浮かび上がってきたことのないものを生み出そうという努力が、この自覚には常に伴わなければなりません。物を作るにも、勉強するにも、自分の行いを考え直すにも、また社会を批判するにも参考になります。西田の「自己」と「自覚」は、考えることを放棄してはいけないということを、私たちに教えているのかもしれません。


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