ことばと文化のミニ講座

【Vol.68】 2012.12   青山 英正

本の奥付はなぜ「奥」にあるのか。

奥付が「奥」に付くまで

奥付とは、大半の和書の末尾に付いていて、著者や出版社、刊行年などの情報が記されているページのことです(図1)。その奥付はなぜ「奥」つまり巻末にあるのでしょうか。

「奥付なんだから奥にあるのは当たり前じゃないか」といったお叱りを受けそうな、たとえば「前進するとなぜ前に進むのか」といった類の無意味な問い方に思われるかもしれません。しかし、では、「著者や出版社などの情報が記されているページが、なぜほかの場所ではなく巻末に付されているのか」といった具合に問い方を変えてみたらどうでしょうか。

図1 梶井基次郎『檸檬』(新潮文庫、2003年)奥付
図1 梶井基次郎『檸檬』(新潮文庫、2003年)奥付

ここで、ほかの国の例を見てみましょう。これまで当たり前と思ってきたことが、案外当たり前ではないということを知るためには、①外国と比較する、②歴史をたどってみる、といった方法が有効です。異なる文化を持つ外国との比較は、日本での当たり前が実は当たり前ではないことを如実に照らし出しますし、日本の歴史を数十年単位でたどってみるだけでも予想以上に事物や価値観が大きく変化していることに気づくはずです。

さて、欧米の書籍を開くと、実はほとんどの場合奥付がありません。そして、奥付に相当するページは、扉(タイトルページ)かその裏にあることが多いのです(図2)。

図2 Paul Goring (ed.) Charles Macklin: Lives of Shakespearian actors1,Eureka Press/Pickering & Chatto,2008. 
  矢印の箇所に、出版社と刊行年が記されている。
図2 Paul Goring (ed.) Charles Macklin: Lives of Shakespearian actors1,Eureka Press/Pickering & Chatto,2008.   矢印の箇所に、出版社と刊行年が記されている。

その書き方は、必ずしも一定しておらず、図2に掲げた図版のように詳細に書かれる場合もあれば、タイトルの下にごく簡単に記される場合もあります。このように欧米の書籍では巻頭付近に置かれることの多いページが、日本ではなぜほとんどの場合巻末に置かれ、しかもその書式がほぼ一定なのでしょうか。鍵は、日本の出版の歴史にあります。

もともと、東アジアでは写本が盛んにおこなわれていました。昔は電子式のコピーなどありませんので、筆写してコピーを作っていたのです。そして、筆写が終わると、筆写した者がその旨を、「○年△月×日 青山英正写畢」(青山英正が書き写し終わりました)といった具合に巻末に書き込む習慣がありました。これを奥書(おくがき)と言います。

出版が始まっても、その本の刊行年や刊行者などに関する情報、すなわち刊記や刊語(刊記とほぼ同内容だが、文章体で刊行事情などが書かれる)を巻末に付すという習慣は引き継がれます。図3は、江戸時代初期に出版された『和漢朗詠集』の刊語です。能書家であった建部伝内という戦国時代の武将の筆跡をそのまま写し取って印刷したということが書かれています。

図3『和漢朗詠集』(慶安元年刊)(明星大学人文学部日本文化学科所蔵、請求番号:日本文化/和漢朗詠/13)刊語
図3『和漢朗詠集』(慶安元年刊)(明星大学人文学部日本文化学科所蔵、請求番号:日本文化/和漢朗詠/13)刊語

これが次第に定型化し、刊行年月と刊行者、その所在地などの情報を巻末に記し、しかもそのための別紙(別丁)を用意するようにもなっていきます。そして、決定的だったのは、江戸時代の中期に当たる享保7年に、そうした情報の明記が町触れで次のように定められたことです。

一 何書物によらず此以降新板之物、作者并板元之実名、奥書に為致可申候事

(いかなる書物であっても、これ以降出版するものは、作者や刊行者の実名を、巻末に書きなさい)

それまで、刊記はあってもなくてもかまわないものでした。しかしこれ以降、いわゆる私家版などは別として、少なくとも市場に流通させようとする本は、刊記をほかならぬ巻末に必ず付けるべきだとされました。つまり奥付は、江戸時代の法令によって、「奥」の位置に固定されたのです。

版権と著作権

ところで、享保7年の町触れが持つ意味には、大きく二つの側面がありました。一つは、為政者による出版統制としての面と、出版業者の権利保護としての面です。為政者にとっては、出版活動を管理することで、政治を批判したり風紀を乱したりするような書籍が知らぬうちに出版され広まることを予防する効果がありますし、出版業者にとっては、刊記に自らの名を記すことで、その出版物に対する自らの権利を主張し、そこから得られる利益を守る効果がありました。出版物に対する権利、すなわち版権が成立するのはまさしく江戸時代になってからです。

ただ、江戸時代の版権は、現代の著作権とは大きく異なっていました。江戸時代後期の出版物の奥付を見てみましょう(図4)。

図4『和漢朗詠集』(天保10年刊本の嘉永元年後刷本) (明星大学人文学部日本文化学科所蔵、請求番号:日本文化/和漢朗詠/28)
図4『和漢朗詠集』(天保10年刊本の嘉永元年後刷本)
(明星大学人文学部日本文化学科所蔵、請求番号:日本文化/和漢朗詠/28)

お気づきでしょうか。著者名が記されていません。もちろん、たいていの場合奥付以外の箇所に記されているのですが、先に見た法令で「作者并板元之実名」を巻末に記すよう命ぜられていたにもかかわらず、江戸時代の出版物の奥付に著者名が記されることは少なく、現代の奥付に必ず著者名が記されているのと対照的です。版権に関わる情報が記載されるようになったはずの奥付に、肝心の著者名が見られないのはなぜでしょうか。

実は、江戸時代に版権はあっても著作権はありませんでした。つまり、出版物に対する権利はあくまでも出版業者にあり、著者にはなかったのです。ですから、著者が原稿をいったん出版業者に渡してしまえば、基本的にその後は著者の手を完全に離れて出版業者の持ち物となり、たとえばその本の売れ行きがよく、増刷を重ねたとしても、著者には一銭も入りませんでした。一見理不尽ですが、現代でもたいていの商品は、それに関する権利をメーカーが所有しているのと似ています。江戸時代の書物は、少し乱暴な言い方かもしれませんが、出版業者というメーカーの生み出した商品だったのです。

日本に著作権が導入されるのは、明治20年の版権条例の第七条に、「版権ハ著作者ニ属シ著作者死亡後ニ在テハ其ノ相続者ニ属スルモノトス」と記されてからです。現代の出版物に著者名が記されているのは皆さんご存じの通りです。

ふだん何気なく見ている奥付というものも、なぜその位置にあり、なぜこれらの情報が記載され、なぜこのような体裁をとっているのか、と考えてみると、そこから日本の出版の長い歴史が浮き彫りになるのです。

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