ことばと文化のミニ講座

【Vol.45】 2010.2   古田島 洋介

歴史的仮名遣と旧仮名遣を峻別(しゅんべつ)せよ

近ごろ、私信はもちろんのこと、論文などの原稿も歴史的仮名遣で書くことが少なくない。いつから歴史的仮名遣を用ゐるやうになつたのかは忘れてしまつたが、歴史的仮名遣を使つてみようと思ひ立つた切つ掛けだけはよく覚えてゐる。

大学時代、さるレポートを綴つてゐたときのこと。「私の考へでは」といふ意味で、「我思ふやう」と記さうとした。ところが、いざ現代仮名遣で「我思うよう」と書いてみると、なんとも気持ちが悪くて仕方ない。なぜ違和感が走るのか考へてみると、原因は「思うよう」の「よう」にある。これが「~したいよう」の「よう」のごとく見えるから気持ち悪いのだ。つまり、「我思うよう」と記すと、幼い子が「ぼくはこう思ってるんだよう!」と駄々をこねてゐるやうにも映り、印象が曇ること甚だしい。そこで「我思ふやう」と歴史的仮名遣で書き直してみたところ、これが落ち着くのである。しつくり「私の考へでは」の意味に響くではないか。これこそ歴史的仮名遣へと赴くこととなる切つ掛けであつた。

もつとも、切つ掛けは、あくまで切つ掛けにすぎない。さらに歴史的仮名遣へと後押し してくれたのは、我が恩師の一たる小堀桂一郎氏(こぼりけいいちらう)の助言であつた。大学院修士課程1年次 のとき、森鴎外「寒山拾得」に関するレポートを提出、その不備について忠告を忝(かたじけ)なくしてゐたさなかに、「鴎外の原文は歴史的仮名遣、自分の文章は現代仮名遣。引用した原文と周囲の自分の文章とで仮名遣が異なるため、どうにも書きづらい」との旨を申し上げたところ、小堀氏から「それなら、なぜ全体を歴史的仮名遣にしないのかね?」と問はれたのである。問はれたとはいへ、歴史的仮名遣を奉ずる小堀氏の言である以上、明敏ならざる私とて、それが反語であることは理解した。以後、改めて福田恆存(ふくだつねあり)『私の国語教室』(新潮文庫/後に中公文庫・文春文庫)を精読、いつしか歴史的仮名遣を用ゐるやうになつたといふのが、語るもつまらぬ個人史である。

しかし、この数年来、今度は歴史的仮名遣について新たに引つ掛かりを覚えるやうになつてきた。歴史的仮名遣そのものに対する違和感ではない。他無(たな)し、それは歴史的仮名遣に即(つ)いて離れぬ「旧仮名遣」といふ別称だ。巷間(かうかん)の例に漏れず、私も「歴史的仮名遣=旧仮名遣」vs「現代仮名遣=新仮名遣」といふ図式を念頭に置いてゐたのだが、前半の「歴史的仮名遣=旧仮名遣」がどうにも気に入らなくなつてきたのである。「旧仮名遣」といふ別称こそ、歴史的仮名遣に対する正しい認識を妨げてゐる元凶ではないのか、と。

あるとき、たまたま必要があつて久保田淳・室伏信助[編]『全訳古語辞典』(角川書店)をめくつてゐると、「かわらかなり」といふ語が、いや、正確に言へば「かわらかなり」に関する解説が目にとまつた。その字句は次のやうなものである。

「乾(かわ)く」と同じ語源で、歴史的仮名遣いは「かわらか」と考えられるが、「かはらか」と表記される場合が多い。

初めは何げなく目を通したにすぎないが、少し引つ掛かる感じがしたので、再び読んでゐると、引つ掛かりを覚えた理由がわかつた。解説の趣旨は理解しやすい。語源の話を脇(わき)に除(の)ければ、〈歴史的仮名遣は「からか」だが、実際には「からか」と書かれることが多い〉との意味である。しかし、引つ掛かるのは、仮名遣の名称だ。「かわらか」が歴史的仮名遣だとすれば、「かはらか」は何(?)仮名遣なのだらうか。単なる誤記、すなはち誤つた仮名遣にすぎないのか。古人が多く用ゐてゐたのだとすれば、「かはらか」も旧(ふる)い仮名遣、つまりは旧仮名遣にして歴史的仮名遣ではないのか。

この問題を解決するには、歴史的仮名遣といふ語が持つ両義性に想ひを致さなければな らない。歴史的仮名遣には二つの意味合ひがある。すでに築島裕(つきしまひろし)『歴史的仮名遣い----その成立と特徴』(中公新書)pp.6-7にも見える内容だが、改めて確認しておかう。  一つめは《実態》としての歴史的仮名遣である。《実態》とは、字のごとく「実際のありさま」をいふ。古人の手に成つた仮名文字による表記すべてが《実態》としての歴史的仮名遣である。そこに正誤の区別はなく、ひたすら表記の事実が存在するのみだ。たとへ ば、古人が「或(ある)ひは」と記した以上、この「或ひは」は一つの厳然たる事実として、疑問の余地なき歴史的仮名遣なのである。

二つめは《規範》としての歴史的仮名遣である。《規範》とは、これまた字のごとく「従ふべき規準」をいふ。端的(たんてき)に言へば、平安中期以前の仮名遣を日本語本来の仮名遣と考へ、それを学術的に研究して規準化したのが《規範》としての歴史的仮名遣なのだ。規準である以上、そこには正誤の区別が存在し、古人の手に成つた仮名文字による表記すべてが《規 範》とされるわけではない。古人が「或(ある)ひは」と記したとしても、それがそのまま正しい仮名遣とは認められず、「或ひは」の「ひ」は、本来は副助詞「い」のはずだから、実は「或は」が正しく、「或は」は誤りとされるのである。

かうした基礎知識をわきまへつつ、上で掲げた「かわらか」と「かはらか」の問題に話をもどせば、一応の解決は容易だらう。「からか」こそ《規範》としての歴史的仮名遣、「からか」は《実態》としての歴史的仮名遣となるわけだ。

ただし、「一応の解決」と記したとほり、これは束(つか)の間(ま)の慰めにすぎない。なぜなら、最低でも上述の基礎知識がなければ、当該古語辞典の記述をすつきり理解することは難しいからである。これは少し酷に過ぎるのではないか。当該古語辞典は、あくまで高校生用の学習辞典だ。「単に歴史的仮名遣と言へば、一般には《規範》としての歴史的仮名遣を指す」などといふ約束事は、高校生たちには通用しまい。しかも、歴史的仮名遣は旧仮名遣と同義語といふのがふつうの理解なのだ。「からか」が旧仮名遣だとすれば、「からか」は何なのか。さすがに「からか」を新仮名遣とは思ふまい。「わ」を「は」と表記するのが現代仮名遣だとすれば、ふつう歴史的仮名遣では語中の「わ」を「は」と書くといふ常識に反するためである。

では、どうすればよいのか。愚考するに、歴史的仮名遣と旧仮名遣を同義語としてゐる名称の取り決めにこそ問題がある。旧仮名遣と聞けば「旧(ふる)い仮名遣」としか受け取れないだらう。場合によつては「旧臭(ふるくさ)い仮名遣」の意味にすら響くかもしれない。つまり、旧仮名遣といふ呼称は、かつて現実に行はれてゐた《実態》としての歴史的仮名遣の意味に限定して受け取られやすいのである。これを放置したまま、《規範》としての歴史的仮名遣を単に歴史的仮名遣と呼ぶために、脳裡で〈歴史的仮名遣→旧仮名遣→《実態》としての歴史的仮名遣〉といふ変換が生じて、いつの間にか《規範》が《実態》に化けてしまひ、要(い)らざる混乱が起きるのだ。

問題を整理するために、《規範》としての歴史的仮名遣について、さらに二つのことを確認しておかう。

第一は、上述のやうに、《規範》としての歴史的仮名遣は平安中期以前の仮名遣を日本語本来の仮名遣と考へて規準化したものだといふことである。具体的には、平安中期以降、「い」と「ゐ」、「え」と「へ」、「お」と「を」などが発音上の区別を失ひ、また、語中のハ行音がワ行音に転ずるなど、日本語の発音に種々の変化が生じたのを嫌つて、それ以前の表記に立ち戻り、奈良~平安初期の仮名遣を規準にしたわけだ。つまり、《規範》としての歴史的仮名遣の実体は、奈良~平安初期の仮名遣にほかならない。となれば、《規範》としての歴史的仮名遣は、旧仮名遣のなかでも最も旧(ふる)い仮名遣、謂はば正真正銘の旧仮名遣とも言へるだらう。この意味では、《規範》としての歴史的仮名遣は、紛(まぎ)れもなく旧仮名遣そのものであり、奈良~平安初期における《実態》としての歴史的仮名遣なのである。

第二は、《規範》としての歴史的仮名遣が、どのやうな過程を経て規準化されたのかといふことだ。今、詳細は省略に従ふが、平安中期以降、日本語の仮名遣は揺れが少なくない状態に陥(おちい)り、ある語をどのやうに仮名書きするのが正しいのか、つまり正書法が心もとない状況になつたのである。この正書法の確立に先鞭(せんべん)をつけたのが鎌倉初期に定められた藤原定家(ふぢはらのていか)(1162-1241)の〈定家(ていか)仮名遣〉であり、本格的な学術的研究を試みたのが江戸中期の僧たる契沖(けいちゆう)(1640-1701)の『和字正濫鈔(わじしやうらんせう)』であつた。その後、いよいよ奈良~平安初期の仮名遣の研究が進み、つひに明治期に及んで、学校教育の整備とともに《規範》としての歴史的仮名遣が教科書に採用され、巷間(かうかん)に普及するに至つたのである。要するに、奈良~平安初期の仮名遣が、江戸中期以降に学術的研究を通じて解明され、明治期になつて《規範》としての歴史的仮名遣に昇格し、日本人の眼前に復活したといふことにほかならない。かうした観点に立てば、《規範》としての歴史的仮名遣は新しいもよいところ、無条件に旧仮名遣とは呼べないことになる。しかも、語によつては今なほ奈良~平安初期の仮名遣が確定できず、当時の表記の実態を解明すべく研究中といふ場合さへある。つまり、《規範》としての歴史的仮名遣は、最新にして未完成の仮名遣でもあるのだ。

上記の二つをまとめれば、《規範》としての歴史的仮名遣は、奈良~平安初期の《実態》としての歴史的仮名遣である点では紛(まが)ふかたなき旧仮名遣だが、その一方、明治期になつて普及し今以て研究継続中にある点では一概に旧仮名遣とは言へないことになる。結局、歴史的仮名遣を旧仮名遣と呼ぶのは語弊(ごへい)が大きすぎるのだ。旧仮名遣といふ名称では、どうしても字面(じづら)や語感の上で「旧(ふる)い仮名遣」の意味にしか響かず、一つには歴史的仮名遣が持つ《規範》としての性格を取り落としてしまひ、二つには歴史的仮名遣が有する学術的先端性が抜け落ちてしまふからである。

では、どうするか。答は簡単だ。不適切な呼び方は改めるに如(し)くはなし。旧仮名遣を歴史的仮名遣の同義語として用ゐるのは不見識としてこれを斥(しりぞ)け、以下のやうな考へに基づいて呼称を整理し直したい。「必(かなら)ずや名(な)を正(ただ)さんか」(『論語』子路)の実践である。

《実態》としての歴史的仮名遣は、事実として旧(ふる)い仮名遣なのだから、そのまま旧仮名遣と称すればよい。これには、平安中期以降の仮名遣はもちろんのこと、奈良~平安初期の仮名遣も含まれる。要するに、昭和21年(1946)11月に公布された現代仮名遣が主流となる以前の仮名遣をすべて旧仮名遣と呼ぶことにするわけだ。文字どほり「旧(ふる)い仮名遣」であり、そこに規範性はなく、このやうに表記してゐたといふ事実が存するのみである。

《規範》としての歴史的仮名遣は、そのまま単に歴史的仮名遣と称する。実体は奈良~平安初期の旧(ふる)い仮名遣だが、確乎(かくこ)たる規範性を持ち、仮名遣の正誤を判断する規準となる。ただし、学術上は研究が継続中であり、未完成の部分を残す。誤解を避けるため、これを旧仮名遣と呼ぶ慣行は廃止する。

上記を簡略にまとめれば次のやうにならう。

歴史的仮名遣:奈良~平安初期の仮名遣で、日本語の表記の《規範》とされる。
旧仮名遣:旧(ふる)い仮名遣すべての《実態》を指す。

現代仮名遣と新仮名遣についても同様の整理が効くはずだ。説明の手間を省き、ただちに結果を記せば次のとほりである。

現代仮名遣:昭和21年11月に公布された仮名遣で、日本語の表記の《規範》とされる。
新仮名遣 :新しい仮名遣すべての《実態》を指す。

現代仮名遣と新仮名遣を区別する必要については疑問の声も挙がると思ふが、取り敢(あ)へず区別を設けておくのが便利かと愚考する。なにしろ、いつぞや文部科学省から送られてきた文書に「以前お知らせしましたとり」と記されてゐたのだ。この「とり」は新仮名遣、「とり」は現代仮名遣と規定しておけば、問題の考察に便利だらう。現代仮名遣を公布した文部省の後継たる文部科学省が《規範》としての現代仮名遣を遵守(じゆんしゆ)せず、《実態》としての現代仮名遣の一例「とり」を提供してくれたのだから、これを新仮名遣と呼んでも不当ではあるまい。言ふまでもなく、歴史的仮名遣では「とり」と書き、それに基づいて現代仮名遣「とり」が決められたのだけれども。

すでに十分とは思ふが、念のために概念図を示しておかう。

概念図

このやうに整理して呼称を決めておけば、授業の現場で、教員「〈或は〉は歴史的仮名遣としては間違ひ、正しい歴史的仮名遣は〈或は〉です」、学生「でも、昔の人が〈或は〉と記した例もいつぱい見かけます。旧仮名遣まで〈或は〉では、現代仮名遣と同じになつてしまふぢやないスか」のごとき虚(むな)しい問答が交はされることもなくなるだらう 。

字音仮名遣についても、上記に準じ、《実態》そのものを指す旧字音仮名遣と《規範》たる歴史的字音仮名遣とに分けておけば、これまた何かと便利だらうと愚考する。

むろん、上図に見えるとほり、「昭和21年以降」に属する現今においては二つの《規範》仮名遣が並立してゐる。いづれが日本語の表記として《規範》とするにふさはしいのか。これは本稿の趣旨とは異なるため、別席での論議にゆだねたい。本稿の仮名遣を以て察していただけるやうに、歴史的仮名遣(愚考によれば「表語的学術表記法」)こそ《規範》たり得るといふのが愚見であり、だからといつて現代仮名遣の即時(そくじ)廃止を叫ぶわけではなく、少なくとも五十音順の索引作りには現代仮名遣(愚考によれば「表音的通俗表記法」)も役に立つといふのが一個人としての立場であるが。

余談ながら、現代の言語生活にも《実態》たる旧仮名遣と《規範》たる歴史的仮名遣の両者が残存してゐることを見ておかう。上掲の築島裕『歴史的仮名遣い』p.3に記されてゐるやうに、昭和21年以降も、谷崎潤一郎)(たにざきじゆんいちらう)(故人)や福田恆存(ふくだつねあり)(故人)をはじめ、石川淳(いしかはじゆん)(故人)や丸谷才一氏(まるやさいいち)など、少数ながら歴史的仮名遣を用ゐる作家は存在する。歴史的仮名遣ゆゑに、たとへば丸谷氏の著書が読者の獲得に支障を来たしてゐるとの話は寡聞(くわぶん)にして知らない。また、やはり少数とはいへ、上記の小堀桂一郎氏(こぼりけいいちらう)をはじめ、歴史的仮名遣を奉じる研究者や評論家などがゐる。

さすがに旧仮名遣は消滅済みかと思ひきや、かつて歌手の布施明(ふせあきら)が歌つた昭和50年(1975)の大ヒット曲「シクラメンのかほり」(作詞+作曲:小椋佳/「かほり」は〈定家仮名遣〉に基づく表記か。歴史的仮名遣は「かをり」)は今でも忘れられてはゐまい。つい最近の歴史的仮名遣の例としては、中国は四川省出身の歌手アラン(alan 阿蘭)に「君想フ空」(作詞:Safari Natsukawa 作曲:菊池一仁)と題する一曲がある。人気アニメ漫画「ちびまる子ちゃん」でも、まるちやんが夏休みの宿題が終はらずに困つてゐたとき、おぢいちやんが夏休みの作文を代はりに書いてやつたまではよいが、表紙に「夏の思出」と記したため、まるちやんが「こんなの出せないよう」と泣きわめく場面があつた。「思出」が歴史的仮名遣だと知つてゐればこそ笑へる話である。

さらに字音仮名遣にまで手を伸ばせば、今なほ泥鰌(どぢやう)屋の暖簾(のれん)に江戸期以来の旧字音仮名遣「どぜう」(歴史的字音仮名遣は「どぢやう」が有力)が見えることは珍しくない。料理に調味料を入れる順序の記憶法として名高い語呂合(ごろあはせ)「さしすせそ」にも旧字音仮名遣が紛(まぎ)れ込んでゐる。一般に「さ」は砂糖、「し」は塩、「す」は酢、「せ」が醤油、「そ」は味噌を指すが、「せ」を醤油に当てるのは旧字音仮名遣「せうゆ」(歴史的字音仮名遣は「しやうゆ」)に基づく。なまじひに正しく歴史的字音仮名遣「しやうゆ」を心得てゐると、かへつて「し」が塩なのか醤油なのか迷つてしまふ面白い例だらう。

蛇足ながら、しばしば病院の看板などで見かける病名「リウマチ」は、もとオランダ語 rheumatische の音訳らしいが、これは外来語の旧仮名遣とでも呼ぶべき表記であらう。通常の現代仮名遣の感覚で記せば「リューマチ」となるはずだ。

以上、「ことばのミニ講座」の場で私見の開陳に及んだことを御容赦いただきたい。なにしろ、日本全国に名の知られた学者までが、理不尽な現代仮名遣で「なかんく」だの、面妖そのものの新仮名遣で「見い出す」だのと記して恬(てん)として恥ぢぬ御時世だ。「なかんく」は、漢文「就中」の訓読「就クレ中ニ=中(なか)に 就(つ)く」に由来するのだから、歴史的仮名遣「なかんく」でなければ理屈が通らぬ。「見い出す」は、上一段動詞「見る」の連用形「見(み)」に動詞「出(い)だす」が付いた語ゆゑ、「見出(みい)だす」または「見出(みいだ)す」としか書きやうがないはずだ。実のところは単なる誤りである。これを新仮名遣と呼ぶのは、上に紹介 した文部科学省の「とり」に敬意を表し、敢(あ)へて百歩を譲つての話にすぎない。

各位が日本語の表記について関心を深められんことを切(せつ)に望む

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