ことばと文化のミニ講座

【Vol.44】 2010.2   勝又 基

コピペは堂々とやれ

はびこるコピペ

「コピペ」という言葉をご存じでしょうか。高校生であれば、ネット掲示板などで見かけた事があるかもしれません。他人がネット上に書き込んだ発言をそのままコピー&ペーストして、他の箇所に貼り付ける行為を言います。

この「コピペ」がいま、大学でも大きな問題になっています。レポートを自分で書かず、この「コピペ」で済ませるという不正が大変多くなって来たのです。たとえば「『徒然草』の隠逸思想について」というレポート課題が出されたとします。本来ならば、このテーマに関する研究論文を読み、自分でも作品や周辺資料を読んで、自分なりの意見をまとめなければなりません。しかし最近はネットで「徒然草 隠逸」と検索して、ヒットしたページをそのままコピペして提出するものが増えている、という訳です。

私がこのコピペレポートの問題を初めて耳にしたのは、もう10年ほども前にさかのぼります。ある研究会合宿の飲み会で、さまざまな大学の先生が、学生から提出されるレポートの質の低下について嘆き合っていました。ある先生は、「レポートが第3章から始まっていた」と言っていました。またある先生は、「レポートの最後に”ご静聴ありがとうございました”と書いてあった」と嘆いていました…。

私も教員になりたての頃は、よくこのコピペレポートに遭遇しました。下手なコピペには、さまざまな証拠が残っているものです。最も分かりやすいのが、レポートがゴシック体になっているもの。また、「拙稿」「定説」など、レポートではめったに用いない言葉が残っているような物は簡単に見破る事ができます。

しかし中には巧妙なものも出ているため、最近はコピペレポートを見破るソフトが開発された、という話も聞きます。私は防御策として、最近ではコピペで書けないようなレポート課題を出すよう工夫しています。

コピペはなぜ悪いのか

コピペは良くない。これは学生も教員も共通して思っている事です。しかし実は、コピペのどこが悪いのかという点に対しては、学生と教員との間で考えが大きく異なっているのです。もちろんレポートに求める物は教員によって様々でしょうが、少なくとも私の評価基準では、大きく異なります。

「なぜコピペは悪いのか」と学生に尋ねてみると、「答えを見ているから」という答えが返ってきます。しかしこれは、教員にとって大した問題ではありません。

大学の学問は、高校までのように、あらかじめ定められた一つの答えにたどり着くためのものではありません。少なくとも文化について考える学問では、そもそも絶対的な答えなど、世の中にはほとんど無いのです。これはコピペうんぬんよりも、そもそも大学の学問とは何か、真実を追究するとはどういう事か、という問題です。正しい答えがあると決めてかかっている所からして、おかしいのです。

では、コピペが悪いのはなぜか。教員側からの答えは、「他人の意見をあたかも自分が考えたかのように書いているから」というものです。

大学での学問の目標は、今まで誰も明らかにしていない事実を明らかにする事、今まで誰もが間違って考えられていた認識を正す事です。極端な言い方をすれば、今までに他人が一言でも言っている事は、後から言っても、何の価値もありません。我々研究者の場合、もしすでに言われている事をあたかも自分が思いついたかのように言えば、それだけで研究者生命が断たれかねないのです。論文盗用問題が新聞などで報道されているのを見たことがある人もいらっしゃると思います。

「他人が言っている事は、他人が言っている事として書く」という事、はレポートや論文を書く際に最も重要な点です。コピペが問題なのは、それが出来ていないからなのです。

コピペはこうすれば良い

このように書くと、「レポートでは、どこから引用したかを書きさえすれば、コピペをしても良いの?」と聞きたくなるかもしれません。その通り、どんどん行って良いのです。それどころか、コピペはレポートや論文にとって、むしろ必須だとさえ言えます。

レポートや論文を書く際に我々がまず取りかかるのは、あるテーマについて、今まで誰によってどのような事が言われてきたか、という点を十分に調査し、整理することです。そして書く時にも、「他人が言っている事は、他人が言っている事として書く」という事を心がけて書かねばなりません。

もう少し具体的に言い直してみましょう。たとえば「清少納言は勝ち気な女性だ」と言う事をレポートで書くとします。この時、次の〈1〉〈2〉ではどちらの書き方が優れているでしょうか。

  1. 〈1〉清少納言は勝ち気な女性だというのが定説である。
  2. 〈2〉萩谷朴「解説」(『新潮日本古典集成』〈昭和五十二年四月 新潮社〉所収)は、「清少納言は勝ち気である」と述べている。

答えはもちろん〈2〉です。他人が書いた文章は「」に入れて正確に引用する。さらにそれが掲載されている論文名、書籍名、刊行年、出版社を明記して、読んだ人がその内容を自分でも確かめられるようにする。これが「他人が言っている事は、他人が言っている事として書く」という事です。

レポートではこうした書き方がしっかりできれていれば、まずは合格点です。これに加えて、論者によって意見の異なる点に注目できれば優秀、さらにそこへ、自分なりの理由を示して結論を下す事ができれば、それは卒業論文・学術論文に近いものとなって行きます。

はびこるコピペ

「コピペ」という言葉をご存じでしょうか。高校生であれば、ネット掲示板などで見かけた事があるかもしれません。他人がネット上に書き込んだ発言をそのままコピー&ペーストして、他の箇所に貼り付ける行為を言います。

この「コピペ」がいま、大学でも大きな問題になっています。レポートを自分で書かず、この「コピペ」で済ませるという不正が大変多くなって来たのです。たとえば「『徒然草』の隠逸思想について」というレポート課題が出されたとします。本来ならば、このテーマに関する研究論文を読み、自分でも作品や周辺資料を読んで、自分なりの意見をまとめなければなりません。しかし最近はネットで「徒然草 隠逸」と検索して、ヒットしたページをそのままコピペして提出するものが増えている、という訳です。

私がこのコピペレポートの問題を初めて耳にしたのは、もう10年ほども前にさかのぼります。ある研究会合宿の飲み会で、さまざまな大学の先生が、学生から提出されるレポートの質の低下について嘆き合っていました。ある先生は、「レポートが第3章から始まっていた」と言っていました。またある先生は、「レポートの最後に“ご静聴ありがとうございました”と書いてあった」と嘆いていました…。

私も教員になりたての頃は、よくこのコピペレポートに遭遇しました。下手なコピペには、さまざまな証拠が残っているものです。最も分かりやすいのが、レポートがゴシック体になっているもの。また、「拙稿」「定説」など、レポートではめったに用いない言葉が残っているような物は簡単に見破る事ができます。

しかし中には巧妙なものも出ているため、最近はコピペレポートを見破るソフトが開発された、という話も聞きます。私は防御策として、最近ではコピペで書けないようなレポート課題を出すよう工夫しています。

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