ことばと文化のミニ講座

【Vol.35】 2009.2   勝又 基

大学で辞書を引く

高校と大学との違い

高等学校までの勉強と大学からの勉強には、たくさんの違いがあります。その違いを一言で言うならば、「他人の意見を鵜呑(うの)みにせず、何でも自分の目でたしかめる」という事に尽きるのではないでしょうか。ですから高校と大学では、辞書の使い方一つとっても大きく違うのです。私の専門は江戸文学ですので、国語辞典・古語辞典を中心にお話してみようと思います。

高等学校までの勉強(というより大学受験勉強)は、1つのあらかじめ用意された答えを、どうやって迅速かつ正確に導き出すかという競争と言えるでしょう。よって受験勉強をする際には、辞書の引き方も「正解探し」になってしまいます。このような考え方の勉強だと、辞書は正解が書いてある本、という位置づけとなります。辞書に書かれている中身に疑問を持つ事はあまりありません。

しかし大学では、辞書に書かれている記事を疑ってかかります。辞書を読みながら、なぜこのような記述がされているのか、という成り立ちを考えるようにするのです。つまり大学での辞書は「正解」ではなく、「考えるための材料」なのです。

このような事を言うと、辞書には正解が書かれていないのか、そんなにもいいかげんなものなのかと驚く人もいるでしょう。そう、じっさい辞書には間違いが多いのです。国語辞典は有名な学者が書いているのだから間違えるはずがない、と思う人がいるかもしれません。しかし私の大学院生時代、ある友人は最も権威があるとされる某国語辞典の原稿執筆のアルバイトをしていました。もちろんそのあとで責任編集者が目を通すのでしょうが、それでも人間のやっている事、間違いは必ずあるのです。

用例に目を向けよう

辞書を「正解」ではなく「考えるための材料」として用いると、具体的にはどのように使い方が変わってくるのでしょうか。結論から言うと、見る場所が変わってきます。

辞書のどこを見るべきか。その事を説明する前に、辞書に書かれている意味はどのように決定されているのか考えてみましょう。Aという言葉の意味を考えるには、客観的な理由が必要です。理由とは証拠のことです。つまり、同じ時期に同じ文脈で使われているAという語の使用例(「用例」といいます)を証拠として挙げれば良いのです。こうした証拠をいくつか挙げることで、言葉の意味は帰納的に決定されます。

つまり、辞書の中で重要な箇所は「用例」という証拠なのです。ほとんどの辞書には、意味が書かれたすぐあとに、例文が記されているでしょう。英和辞典の場合は独自に作成された例文が多いようですが、古語辞典やある種の国語辞典には、実際に使われた用例が掲載されています。大学で辞書を用いる時には、意味よりむしろこの「用例」に目配りしなければなりません。そしてそれを材料にして、考えるのです。

辞書を読むときには意味だけを見て「ああ、こういう意味なのか」と納得してしまってはいけないのです。辞書に書かれている意味を見て、その上で用例にも目を配り、「たしかにこの時代にはこういう意味で使われている」と納得する。これが辞書を「考えるための材料」として使うという事です。大学の学問では、このようにして初めて、辞書を使ったという事ができるのです。

良い辞書とは

『江戸時代語辞典』(角川学芸出版ホームページより)
『江戸時代語辞典』
(角川学芸出版ホームページより)

辞書の用例を気にするようになって気づくのは、どの辞書も案外似たような用例を載せているという事です。これはなぜでしょうか。それは、ある言葉について辞書執筆者が調査する場合、用例探しに利用する作品や索引が限られているからです。辞書執筆者はつい活字化されている文献に目が行きがちです。そこでおのずと使われる作品が似通って来るのでしょう。先に刊行された辞書を丸写ししている、とは思いたくありませんが、その可能性もまあ、無い訳ではありません。

そのような中で、他の辞書には載っていない、自力で探し当てたと思われる用例がちりばめられている辞書を見ると、本当に嬉しい気持ちがします。この辞書を作るのにかかった手間と時間はどれほどの物だったかと思うのです。たとえば最近刊行された『江戸時代語辞典』(角川学芸出版)という辞書は、他の辞書には載っていない用例がたくさん掲載されています。この辞書は我々江戸文学を学ぶ者にとっては、当分手放す事のできない重要な道具となるはずです。

「根性引き」が学問を進める

私が担当する演習の授業では、山東京伝の江戸戯作(黄表紙)を読み進めています。発表担当学生は作品中の難しい言葉について調べ、文章を解釈するのですが、どの辞書を見てもふさわしい用例が見つからない場合がよくあります。インターネット全盛の世の中ですが、本当に必要でマニアックな事柄は、あまり載っていないものです。このような時はどうしたら良いのでしょうか。そう、自分で辞書の項目を作成するぐらいのつもりになって、自分で手当たり次第に古典を読んで用例を探す事になります。わたしはこれを「根性引き」と言うのだと教わって来ました。一般化している言葉かどうかは分かりませんが、私が授業でよく用いるので、ゼミの学生たちも当たり前に「根性引き」と言っています。

もちろん「根性引き」は大変な作業です。しかし、同じ著者の別作品などを探していると、案外簡単に見つかったりする事もあります。そして学生にとっては、言葉だけでなく、「自分の目で確かめる」という学問の姿勢を学ぶためにも重要な訓練だと言う事ができるでしょう。演習担当学生が「根性引き」で最適な用例を探し、難解な言葉の解釈を行ってくれた時には、大変高く評価をします。それは単に、頑張ったからだけではありません。そこで見つけられた新たな用例は、江戸文学研究という世界から見ても明らかに新発見であり、学問的進歩であるからなのです。

みなさんも次に辞書を引くとき、「用例」にチラリと目を向けてみてはいかがでしょう。そのとき、学問への一歩はすでに踏み出されているのです。

学科の取り組み