ことばと文化のミニ講座

【Vol.22】 2007.9   柴田 雅生

辞書にない言葉 -国語辞典から日本語を考える-

辞書は便利で身近な道具

世の中にはさまざまな本(書物)がありますが、その中でも、辞書は特に身近なものと言えるでしょう。自分専用でなくても、自由に使える辞書があるという人は多いはずです。

辞書を身近に置く理由は、辞書は何かと役に立つもの、頼りになる道具だからでしょう。他にも理由は考えられますが、何かを調べようという時、まずは辞書や事典にあたってみるという行動は、人間の知的行為の基本と言えるものです。これは、紙媒体の辞書であっても電子辞書であっても、さらにはネット上の辞書であっても変わりません。辞書は知識の宝庫であり、さらに膨大な知の世界への手近な入り口と言えるのです。辞書で手掛かりを得て、さらに広く深く調べたり考えたりしてゆくことは、単純でいて極めて有効な方法です。

特に、外国語の学習は辞書抜きでは考えられません。優れた教師についたとしても、辞書と文法書を最大限に活用することが不可欠です。なぜなら、未知の言葉である外国語をまず知ることから始めなければならないからです。室町時代末に日本へやってきたイエズス会の宣教師は、彼らにとっての外国語である日本語を学習して布教しましたが、彼らが布教活動と同じくらいに日本語の辞書や文法書の編纂出版に心血を注いだことはよく知られています。道具としての辞書の大切さを身にしみて感じていたからと考えられます。

ところで、ひとくくりに辞書といっても、そこにはさらにさまざまな種類があります。おそらく一番身近にあると思われるのは国語辞典ですが、国語辞典はどのくらい有用な道具として役に立っているでしょうか。中高生であれば、新出の単語を調べるという国語の宿題等に活用したと思います。ところが、社会人では、ある単語が漢字で書くとどうなるかを調べる時にしか使わないという人が多いかもしれません。未知の言葉を調べるという使い方は外国語の辞書と共通しますが、母語における未知の言葉は外国語のそれとはずいぶん異なると思われます。また、他の種類の辞書に比べて、使い方やその有用さについて無自覚であることが多いようにも思われます。

以下では、国語辞典に関することがらを二つ取り上げて、国語辞典という道具の性格、ひいては日本語そのものを考える手掛かりとしてみたいと思います。

言葉の見つけ方

公開講座のひとこま。先生の前に置いてあるのが釈台。みなさんが持っているのが張り扇です。
『増補改正早引節用集』

日本語の辞書の歴史を振り返ると、現代のようなスタイルの国語辞典が見られるようになるのは、明治時代以降のことです。一部の例外を除き、かつては意味の説明がなく、言葉の並べ方もまちまちでした。一例として、江戸時代後期の辞書の冒頭部分を示すと次のようになります。

 い一 位(い) 伊 意 猪 威 膽 藺 い二 色(いろ) 息(いき) 忌(いむ) 禁 出(いで) 入(いる) 居 言(いふ) 云 謂 結 煎(いる) … い三 勇(いさむ) 諌 軍(いくさ) … い四 盍(いかんぞ) 誡(いましめ) … い五 幼(いとけなし) 焉(いづくんぞ) … い六 痛々敷(いたいたしく) … い七 以心伝心(いしんでんしん) … い八 一陽来福(いちやうらいふく) … い九 櫟谷明神(いちたにみやうじん) …

仮名で書いた場合の一文字目をいろは順に並べた後、仮名の文字数が少ないものから多いもの、次いで漢字の文字数が少ないものから多いものへと並べるようになっています。しかし、仮名の文字数も漢字の文字数も同じ言葉の中では、特定の並べ方があるように思えません。仮名二文字で漢字一文字の「色(いろ)」「息(いき)」「忌(いむ)」などはランダムに並んでいるのです。仮名では同じ「入(いる)」と「煎(いる)」も隣り合っていません。そうなると、ともかくも一通り読むつもりで探さないと見つかりません。見つからない場合でも、見落とした可能性を考えるともう一度最初から見直す必要があります。挙げ句の果ては、目的の語が載っていないことを確認するために何回か読み直さなければならないのです(実際には、辞書を引く前から目的の言葉が載っているかどうかがわかるくらいに活用することが多かったと想像されます)。

その点、近代以降の国語辞典は細部に至るまで整然とした並べ方となり、使う人がその並べ方さえ承知していれば比較的容易に探し求めることができるようになりました。目的の語が載っているかいないかも、手間暇かけずに判断できます。時折、日本語に関するクイズで、

「椀飯振る舞い(大盤振る舞い)」「オーバー」「大判」を国語辞典に出てくる順番に並べなさい。

などという問題が可能となるのは、現代の辞書では見出しの言葉の並べ方が五十音順で一定していることを示しています。

しかし、五十音順という基準で見出しが並んでいれば、目的の言葉が簡単に見つけられるかというと、必ずしもそうではありません。上掲の三つの言葉は、国語辞典によって順番が異なります。

  1. (a) オーバー → 大判(おおばん) → 大盤振る舞い(おおばんぶるまい)
  2. (b) 椀飯振る舞い(おうばんぶるまい) → オーバー → 大判(おおばん)

(b)の方の「椀飯振る舞い」という表記は近年あまり見掛けなくなりましたが、「大盤振る舞い」の元々の表記です。それを当て字表記で「大盤振る舞い」と書くことが近年多くなったため、辞書によっては当て字表記の方を基本として載せるようになったのです。

「椀飯~」と「大盤~」は漢字表記の問題ですが、辞書の並べ方では仮名でどう書くかが焦点となります。その時、「おうばん~」とするか「おおばん~」とするか、これは仮名遣いの問題です。つまり、仮名遣いがわかっていないと、すんなりと辞書が引けないということになります。同様の例は、「いなずま・いなづま(稲妻)」「せいふ(政府)・セーフ(safe)」などいくらでも挙げることができます。

本来であれば、仮名遣いを意識せずに調べられるのがよいのかもしれません。事実、発音に基づいた独自の仮名遣いを見出しに採用した国語辞典(『新明解国語辞典』(三省堂)の前身である『例解国語辞典』が代表的)も出版されていました。しかし、仮名を手掛かりとして引くスタイルが変わらない限り、仮名遣いを意識する必要は残ります。むしろ、探し求める言葉の仮名遣いをあれこれと思い浮べて探し出すとともに、仮名遣いとは何であるのかを理解する手掛かりとしてはどうかと思います。幸いなことに、現行の多くの国語辞典は、仮名遣いがわかりにくい言葉には仮の見出し(参照見出し)を立てて、その辞書の中の掲載箇所に導くよう工夫されていますので、ご安心を。

なお、これは仮名遣いの問題ではありませんが、近年「雰囲気」を「ふいんき」と発音している人が一定数存在することが知られるようになりました。「雰囲気」を国語辞典で調べる時にどのような仮名の見出しを探すのか、人によっては、最初は戸惑うかもしれません。

辞書に載る言葉と載らない言葉

もう一点、国語辞典について注意しておきたいのは、そこに掲載されている言葉の範囲です。

国語辞典がどんなに便利な道具であっても、あらゆる言葉が載っているわけではありません。現行最大の日本語辞書である『日本国語大辞典』(全13巻、小学館)は見出しで約50万語(古語や方言なども含む)を掲載していると言います。さすがに50万語ともなると探し求める言葉は大抵見つけられますが、それでも載っていない言葉があります。『日本国語大辞典』の編集部では、未掲載の言葉や用例を投稿で集めているほどです(日国.NET:日国友の会)。最大の辞書に載っていない言葉があるのですから、身近な小型国語辞典に載っていない言葉を探すことはそんなに難しいことではありません。そこで、どんな言葉が載らないのか考えてみることにします。

一般に国語辞典に載りにくい言葉として、

  • 人名・地名などの固有名詞
  • ある分野・業界などに特有の専門用語
  • 新語・流行語
  • 俗語・隠語
  • 語形変化を起こした語(逆に「語形変化を起こす前の語」を載せない場合も)
  • 方言

などを挙げることができます。固有名詞や専門用語にもさまざまなものがあり、実際には著名な人物名や一般でも使われるようになった専門用語が載ることはあります。しかし、概して載りにくいことには変わりありません。新語・流行語の類が載りにくいのは、それらが日本語として使い方が安定し定着したと言えるかの判断が難しいからです。仮に何でもかでも載せている辞書があるとすれば、それは学術的検証を経ていない奇抜さだけを追いかけた新語集のようなものであるはずです。信頼性を重視する一般の国語辞典とはおのずから性格が異なります。

方言では、関西地域の「しんどい」、北海道・東北地域の「しばれる」のように、共通語と交えて使われるようになった語を載せる場合も増えましたが、一部の語を除いて、通常は掲載されません。その意味では、国語辞典は「共通語辞典」と名乗る必要があると言えるかもしれません。

また、「こじゃれた」「どたきゃん」「やさぐれる」といった俗語・隠語も国語辞典は基本的に載せません。語形変化に関しては、「やっぱり」の省略形である「やっぱ」、「なんでもかでも」の強調形である「なんでもかんでも」なども同様です。俗語辞典や隠語辞典の類には一般の人がほとんど耳にしないような俗な言葉も載っていますから、それらに比べれば社会的に通用する言葉と言えます。それでも、なかなか掲載に至らないのは、使用する人の範囲が今一つ狭かったり、公の場では使用を控える方がよかったりするという語の使い方に関する問題があると考えられます。つまり、国語辞典に掲載されている他の語と同じ扱いはまだできないと見なされるというわけです。

個々の語についての具体的な判断は辞書によっていささか異なりますが、国語辞典に共通する基本的性格として載りにくい言葉があることは知っていて損のないことだと思います。このことを知らず知らずのうちに感じ取っていた人も多いとは思います。それならば、むしろはっきりと自覚して国語辞典を使ってみてはどうかと考えます。

求める語が載っているのであれば、その説明が妥当であるか確認する。載っていないのなら、身の回りを観察して、どんな場面でどんなニュアンスで使うのか振り返ってみることです。特に俗語・隠語や語形変化した言葉は、言葉に対する感覚をみがく格好の材料となります。「こじゃれた」は「しゃれた」と何が違うのか、「どたきゃん」はどのようにして出来た言葉なのか、「やっぱ」にはどういう語感があるかなどを、実際に見聞きしながら考えてみるとよいでしょう。多くの場合、引いて調べるまでもなく、おおよそのことは見当がつくはずです。辞書の説明を読んで、何となくわかったつもりになるよりも、ずっと意味のある実践です。そうすれば、辞書に載る言葉と載らない言葉の境目もおのずと明らかになるはずです。

私たちの現実の言語生活は国語辞典に縛られているわけではありません。辞書にない語であっても、使い方に注意こそすれ、使うか否かは使い手に委ねられます。中でも、辞書に載りにくい新語・流行語、俗語・隠語や語形変化した言葉は言語表現にある種の彩りを添え、聞く人の耳に強い印象を与えます。効果的に使えばさまざまな表情を生み出し、より豊かな表現をもたらすでしょう。しかし、使い方を誤れば印象だけで中身のない表現にしてしまう恐れがあります。どんな時においても、言語表現の骨格を担う基本的な語彙や表現がしっかりしていなければならないことは言うまでもありません。このように見てくれば、言葉が洪水と化して溢れかえっているような現代社会では、辞書が落ち着いて言葉と向き合うための指針にも思えてくるのではないかと思います。

冒頭に記したように、辞書は頼りになる道具です。とはいえ、万能ではありません。上に記したことは、どちらかと言えば国語辞典のマイナス面の指摘です。しかしながら、物事には必ず長所と短所があるもの。短所を知ることによって利用する価値が一層高まるはずです。国語辞典とうまく付き合うためにも、国語辞典のことをよく知ってほしいと思います。

もし、この小文を読んでいるそばに国語辞典があれば、冒頭部分にある「序文」や「使い方」「凡例(はんれい)」などを読むことをお薦めします。失礼ながら、これらの部分を読んだことがない人が大半であろうと想像するからです。そこには驚くほど多くの情報が工夫されたかたちで盛りこまれていることに気付かされるでしょう。まずは身近にある辞書をよりよく活用して、豊かな言葉の使い手を目指してほしいと願っています。

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