ことばと文化のミニ講座

【Vol.21】 2007.8   古田島 洋介

カッコ書きの効用 -漢文の反語と英語の現在完了-

二十数年来、予備校講師の期間をも含め、ずっと漢文と英語を並行して教えています。今や英語を教えるのは一週間にわずか一コマ、それも非常勤先での授業だけですので、並行と称するのは大げさかもしれません。しかし、曲がりなりにも漢文と英語のあいだを往復していると、英語ならば当たりまえのことが漢文には通用せず、逆に、漢文では常識のことが英語では思いも寄らないという場面が少なくありません。その一つが反語の問題です。

反語は、漢文において重要な役割を果たします。実際、あらゆる漢文の参考書が、疑問形と並んで、反語形についても一定のページ数を割いています。単なる疑問「~なのだろうか」と、一ひねり加えた反語「~なのだろうか(いや、~であるはずはない)」とでは、言わんとする内容が大いに異なるのですから、両者を別立てとするのは当然のことでもありましょう。よほど反語が気になったためか、鳥羽田重直『漢文の基礎』(日験、昭和60年)基本文型篇は、反語形を先に(p.76)、疑問形を後に(p.82)記述しているほどです。まずは疑問形を解説してから、改めて反語形を説明するのが、やはり穏当な順序ではないかと愚考しますが。

むろん、疑問形は疑問形、反語形は反語形で、形式が截然と異なるのであれば、誰も苦労はしません。この両者が、いえ、実は詠嘆形までもが、字面だけでは判別不能のことが多いため、話がややこしいのです。

何苦・疑問〔訓読〕何ぞ苦しむ。

〔意味〕なぜ苦しむのか。

・反語〔訓読〕何ぞ苦しまん。

〔意味〕なぜ苦しむのか(いや、苦しむ必要はない)。

・詠嘆〔訓読〕何ぞ苦しき。

〔意味〕なんと苦しそうなことだろう。

「何苦」の二字だけでは意味が定まりません。疑問・反語・詠嘆のいずれにも解することができます。訓読がほどこされていれば、末尾の「~ん(や)」が反語の標識となりますが、単に語を逐って「なぜ苦しむのか」と解釈するだけでは、疑問なのか反語なのか判然としません。そこで、反語の解釈にさいしては、上の如くカッコ書きで「いや~」を添えるのが漢文の常套手段となっています。

もっとも、このカッコ書きは、見苦しいと言えば見苦しいものです。解釈の段階であればいざ知らず、最終的な翻訳となれば、カッコ書きを取り除き、簡明に「苦しむ必要などありはしまい」とでも訳したいところ。しかし、反語だとの意識をことさらに高め、解釈に正確を期する点で、カッコ書きの効用は決して捨てたものではありません。疑問との区別を明確にすべく、少なくとも学習上、カッコに入れた添え書きは頗る便利なのです。

一方、英語ではどうかというと、漢文に比べれば、反語表現についての解説は一般にあっさりしたものです。管見に入るかぎり、反語すなわち修辞疑問文 rhetorical question に一章を割いている英語の学習参考書は見当たらず、中学校以来の英語学習の記憶をたどってみても、反語について取り立てて注意を受けた覚えはありません。即座に想い起こす英語の反語表現は Why don't you~ くらいです。

Why don't you be a doctor? 医者になったらどう。

これは『ジーニアス英和辞典』(大修館書店、昭和63年)‘why’p.1946-r の例文とその訳文です。漢文であれば「なぜ医者になろうとしないのか(いや、医者になるのがよいだろう)」と解釈を記すところでしょうが、英語の辞書は進歩が著しいためか、まだるっこしいカッコ書きなど添えず、端的な訳文を呈示しています。ちなみに、英語を講ずる同僚に聞いてみたところ、次のような反語表現の例を教えてくれました。

Who knows! = Nobody knows. 誰が知っているだろうか(いや、誰も知るまい)。

Who can do it! = Nobody can do it. 誰ができるだろうか(いや、誰もできまい)。

それぞれ等号の右側に位置する英文は、漢文流のカッコ書きの字句と同内容です。もう一つ、少ししゃれた会話の例も教えてもらいました。

“Excuse me, how old are you?”

“Who wants to know?”= Nobody likes to tell.

= I don't want to tell you about it.

「失礼ですが、おいくつですか」

「誰が年齢を知りたがるものかね」(いや、誰も自分の年齢は教えたくあるまい/私はあんたに自分の年齢を教える気はない)

漢文ならば、「誰欲知之」を「誰か之を知らんと欲せん」と訓読し、「誰がそれを知りたいと思うだろうか(いや、誰も知りたくはあるまい)」と解釈してから、重々しく「話し手の拒否を含意する」とでも説明を加えるところでしょうか。なるほど、漢文流の反語解釈は、いささか迂遠の譏りを免れますまい。

では、英語にはカッコ書きがまったく不要かというと、実は然にあらず。私は、ある英語の文法事項の説明にさいしては、必ずカッコ書きを添えることにしています。それは現在完了時制の説明です。失礼ながら、過去時制と現在完了時制の区別がつかない学生は、決して少なくないでしょう。

He came here./He has come here.

この二つの英文が意味上どのように異なるのか、すぐに答えられない学生がかなりいるのではないでしょうか。何を隠そう、かく言う私も、ある時期まで「現在完了時制は、過去の動作の結果が現在に影響を及ぼしていることを表す」との解説を聞いても、今一つ釈然としませんでした。

そのような曇った印象が消えたのは、かつてホーンビー A.S.Hornby, Guide to Patterns and Usage in English, Oxford University Press を手に取ったときのことです。手もとにあるのは第二版(1975)の第四刷(1977)ですから、大学二年生か三年生のときに購入したものでしょう。ホーンビーは次のように解説しています。

現在完了時制は、過去の行為や経験が現在にもたらす結果をも表す。関心の焦点は過去ではなく、あくまで現在にある。以下の用例では、カッコ書きを添えることによって、この現在完了時制の特徴を示すこととしよう。カッコ内の字句は、現在における結果の一例を表している。(pp.88-89/拙訳)

ホーンビーの添えるカッコ書きとは以下のようなものです(p.89)。念のため、それぞれに拙訳を記しておきましょう。

I've come to school without my glasses(so now I can't see to read).

僕は眼鏡をかけずに学校に来てしまった(だから今、僕は本が読めない)

Jim has bought a car(so now he needn't use public transport).

ジムは自家用車を買った(だから今、ジムは電車やバスに乗る必要がない)

I've finished my work(so now I can sit back and rest).

僕は自分の仕事を終えた(だから今、僕はゆったり坐ってくつろげる)

実に有難いカッコ書きではないでしょうか。明快そのものです。つまり〈Spring has come.〉とあれば、まず「春が来た」と訳してから徐ろに〈Spring came.〉との相違を説くような回りくどい方法を用いず、カッコ書きを添えて、「春が来た(だから今、暖かくなっている)」とでも解釈するよう習慣づければよいのです。解釈作業がそのまま現在完了時制の特徴の解説をも兼ねて、便利なことこのうえなし。むろん、カッコ書きの内容は発話者や場面によって異なるわけで、もし日本の老人が感慨深げに〈Spring has come.〉を口にしたとなれば、「(だから今、また桜が見られるわい)」とでも補うのが適切かもしれません。最終的には「春になった」くらいの訳文が穏当でしょうか。先の〈He has come here.〉を例に取ると、「あの人はここに来た(だから今、ここで皆が集まるのを待っている)」とでもなるわけです。「あの人はここに来ている」くらいの訳文に落ち着くでしょうか。

いずれにせよ、こうしたカッコ書きは、現在完了時制を学ぶうえで、きわめて有用なものと考えます。要するに、漢文では反語の解釈にさいして常套手段となっているカッコ書きを、英語の現在完了時制の解釈にも応用してはどうか──これが私の提案であり、事実、私が英語の授業で実践している工夫の一つなのです。工夫とは言っても、上述のように、ホーンビーの受け売りにすぎないことは百も承知のうえですが。

もちろん、現在完了時制が表す〈完了〉〈結果〉〈経験〉〈継続〉のうち、こうしたカッコ書きが特に効用を発揮するのは〈結果〉の場合でしょう。〈完了〉〈経験〉にはカッコ書きが不要なことも少なくありませんし、一般に〈継続〉を表す現在完了時制進行形には独特の意味合いが込められる場合もありますので、不用意なカッコ書きは勧められません。

けれども、英語の学習者がともすれば判別に苦しむ過去時制と現在完了時制〈結果〉の両者は、現在完了時制の文に〈結果〉の意味合いを示すカッコ書きさえ添えれば、その言わんとするところがはっきり区別できるのです。同じカッコ書きでも、一部の辞書に見られるような〈Spring has come.(結果)〉では、現在完了時制に〈結果〉を表す用法があることを示すのみで、過去時制〈Spring came.〉と何が違うのかわからず、説明として体を成しません。これでは解釈したことにならないのです。

漢文の反語解釈におけるカッコ書きを、英語は嗤(わら)ってはいけない。そのまだるっこしさを冷笑する余裕があるのならば、現在完了時制の少なくとも〈結果〉にはカッコ書きを添えて解釈する習慣を養うべきではないでしょうか(いや、ぜひともそのような習慣を養うべきだ)。

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