ことばと文化のミニ講座

【Vol.20】 2007.7   元本学科教員 上原 麻有子

翻訳とは何か

翻訳とは、私たちにとって非常に身近なものであると思います。英語を勉強している皆さんなら、「英文を理解するために和訳練習というのをさせられた、それだ」とぴんとくることでしょう。また、これまで読んだことのある本の中には、少なからず外国文学などの翻訳書が含まれていたはずです。日常使っている語彙についてはどうでしょうか。特に漢語表現の多く(社会、自由、権利、恋愛など)は、調べてみると、元来西欧語の翻訳によって作られたものであることがわかります。

翻訳の多面性

では、翻訳とは一体何でしょうか。フランスの翻訳学者ジャン=ルネ・ラドミラルが言っているように、翻訳する行為と翻訳行為の結果としての訳文の二面を指しています。一方、ロシアの言語学者ロマーン・ヤーコブソンは翻訳を三分類し、異なる言語間における解釈に基くもの、同一言語における異なる語や表現の間の解釈に基くもの、言語と言語以外の表現法(音楽、絵画、映画など)の間の解釈に基くものとしています。

このように、いざ「翻訳とは何か」と問われると、一言では説明のできないいくつもの複雑な問題を含んでいることに気付きます。外国語へ、または外国語からの翻訳に限定せずに考えると、翻訳の意味は、言語、さらには文化の解釈の問題へと拡大することが出来そうです。

今回は、一般的に理解されている翻訳、つまり複数の異なる言語間の翻訳を取り上げてみましょう。この意味における翻訳の定義を、ラドミラルは次のようにしています。「出発言語(または原語)によるあるメッセージを、到着原語(または訳語)に移す」こと。ここでメッセージとは情報のことです。あるいは意味だと考えても構いません。しかし、ある外国語の文意を日本語に訳すといっても、そう容易には実践出来ません。

以前、私がフランス語の通訳をした時、この言語を全く知らない日本人の通訳依頼者から、「フランス語がよく出来るなら、通訳なんて簡単でしょう。耳からフランス語が入って来ると、自動的に口から日本語の訳が出るんじゃないんですか」と言われて大変驚いた、という経験があります。口述の通訳の仕方は技術的には筆記の翻訳と異なりますが、取り合えず一種の翻訳であると見ておきます。この依頼者は、フランス語の文を構成する各単語の意味を理解し日本語で訳語を知っていれば、それを一々発音するだけでつまり逐語で文の翻訳が完成するとでも思っていたのでしょうか。もし二言語の関係がこのようなしくみであったなら、今頃は、難解な学術書などもコンピュータの処理する機械翻訳に頼ることが現実となっていたでしょう。

単語レベルで意味内容を到着言語に転換して並べても、文レベルとして成立ない場合もしばしばです。例えば慣用表現がそうです。挨拶表現のGood morningを「良い朝」と訳したらどうでしょうか。実際、明治・大正時代には、岩野泡鳴のように日本語としては滑稽に思えるほど徹底した直訳を主張する翻訳者もいたのです。では、如何に訳すか、これが次の問題です。

不実な美しき女性 La belle infidèle(ラ ベル アンフィデル

ここで、ヨーロッパの翻訳論に目を向けてみましょう。17世紀のフランスで、翻訳は「不実な美しき女性」に比せられました。美文ではあるが原文への忠実さを欠くという意味です。文法学者ジル・メナージュは、当時の有名な翻訳者ニコラ・ペロ・ダブランクールの翻訳を批判する際、「トゥールで愛した美しく、しかし不実な女性を思わせる」とし、この表現を使ったのです。16~18世紀頃、フランスの翻訳法は、読者の反応重視で、加筆、削除と自由に美文を作るが、原文には忠実でないというものでした。19世紀には逐語訳派も増えましたが、結局、いつの時代にも「不実」派と逐語訳派の両方が混在しているようです。

ラドミラルは、翻訳法には、根本的に二種類あると指摘しています。原文における構文や語である言語面を優先して訳す方法、及び言語ではなく談話における意味を重視した上で、到達言語の文学的価値を優先的に訳す方法です。少し説明を加えます。後者の「談話における意味」とは、言語が使用されている文脈の中で意味を把握すること、と理解すればよいでしょう。言い方をかえると、意味は各語に固有のラベルのように元々貼り付けられたものではなく、文脈の中でのみ現れてくるものだということです。そして、原文の意味を分かり易く伝える訳文にしなくてはなりません。この点は、私も授業で常に強調していることです。

ところで、イタリア語の「翻訳者は裏切り者」Traduttore, traditore (トラドゥットーレ、トラディトーレ)は、翻訳には必ず原文に対する不正確さを伴うこと、つまり翻訳の不可能性を表現しています。これが、翻訳というものの本質なのだと思います。

いくら努力しても、原文は翻訳を通じて完全に再現されることはないのです。出発言語の文体やリズムを到達言語に移すことも翻訳の課題ですが、これをいかに行うかは難問です。また、意味解釈は文脈中でのみ可能だとは言えても、解釈は常に不完全でしょう。そこには、ことばが意味するということの限界があるからなのです。ことばは、十全に意味を伝えるわけではありません。十全な意味は、ことばに表現した途端に十全さを失うとも言えるでしょう。このような限界の中で、翻訳者は最大限原文に接近する努力を行わなければなりません。

問題が、かなり哲学的になってきました。以上述べたことをより深く理解し、実感するために、授業では皆さんと一緒に翻訳を実践し、翻訳例文(原文と訳文)を比較検討するといった方法で勉強を進めてみたいと思います。

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