ことばと文化のミニ講座

【Vol.17】 2006.12   勝又 基

病床の想像力

1 知られていない小説

静岡県三島市に、三島市郷土資料館という博物館があります。ここに『敵討田前豪傑伝(かたきうち たまえごうけつでん)』という明治4年(1871)に書かれた小説があります。

内容は敵討ち小説です。伊豆の国の豪傑・田前年十郎(たまえねんじゅうろう)という若者が、矢の坂という所で父を殺されて敵討(かたきうち)を決意。敵をさがして諸国を旅し、ようやく熊本で討ち果たす、というストーリーです。

高校で学ぶ文学史の参考書などには一切載っていません。それもそのはず、この小説は、三島市郷土資料館に1点のみしか存在しないもので、発見されたのもつい最近だからです。つまり、文学史的にはまだ全く評価されていない作品です。

それでも私がこの小説を取り上げたいのは、この作品の著者が、どのようにして小説を描いたのかという事に興味があるからです。

著者は三島に住んでいた勝俣清作(かつまた せいさく)という人。この小説は彼が17歳の時の作です。清作が書いたあとがきには、彼が去年の夏ごろから長らく病気で伏せっていた事などが記されています。病弱の17歳の若者は、ここまでの人生で、どれほど諸国を旅していたでしょうか。おそらく、ほとんど三島を出た事はなかったでしょう。

しかし『敵討田前豪傑伝』は敵(かたき)を探して諸国を旅する小説ですから、主人公田前年十郎は、日本中のさまざまな土地を旅します。碓氷峠(うすいとうげ・今の群馬県)では狼の群れと戦い、岡山では道場の師範を倒し、その道場を手伝ったりもしました。萩(はぎ・今の山口県)に行く途中では、山賊をやっつけ、一味を解散させました。そして九州の熊本でようやく敵を討ち果すのです。

2 地名の謎

ここに疑問が浮かびます。病に伏せっていた17歳の勝俣清作は、どのようにして日本各地の情報を得たのでしょうか。結論から言えば、それは豊富な読書量によってであったと想像されます。勝俣家は本好きの家系で、先祖の代から数多くの書物を集めていました。また、その中には「勝俣清作」と書かれたハンコ(「蔵書印」と言います)が押された江戸時代の小説がたくさん残されています。清作は、病床で多くの本を読んでいたのです。 病気で動き回る事ができない17歳の勝俣清作は、かわりに、空想の主人公を作り上げました。そして、自分の代わりに、いつも親しんでいた本に出てくる土地を旅させたのではなかったでしょうか。

いっぽう『敵討田前豪傑伝』にはよく分からない地名も登場します。主人公の父親は「矢ノ坂」という所で殺されるのですが、この地名がどの地図や地名辞典を見ても出てこないのです。

しかしこの地名、勝俣家のご子孫がご存じでした。「矢ノ坂」とは、勝俣家のすぐ近くにある小さな坂だったのです。つまり、地図や地名辞典には載っていないけれど、勝俣清作が子供の頃に遊んだであろう、すぐ近くの場所だったのでした。

もうひとつ同じような発見がありました。なぜ主人公が「田前」という変わった姓なのか。この事もずっと疑問だったのですが、勝俣家を訪れた時、お宅の近くの看板に「和田前」という地名が書かれていました。つまり著者・勝俣清作は、近くの地名から主人公の姓を思いついていたのでした。

読書で読んだだけの見たことが無い日本各地と、少年時に歩き回った身近な場所。病床の若者・勝俣清作は、この2つを用いて想像力を存分に発揮し、小説を作り上げたのでした。
 文学作品の研究とは、名作とされる作品を鑑賞するだけではありません。少し視点をズラすだけで、作品はさまざまな面を見せてくれるのです。

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