内海 敦子 教授 日本と世界の文化1:宗教

背景

文化を比較して日本を知るということ

 私が所属する明星大学人文学部の日本文化学科は、日本文化を深く知るための学科です。伝統を知るために、古い歴史や古い日本語を振り返るというやり方もあります。また、他の文化と比較することで、日本の文化がどのようなものかを理解するというやり方もあります。

 今回は「宗教」に焦点をあてて、日本の文化を考えていきたいと思います。私は東南アジアに行くことが多いので、東南アジアとの比較もしていきたいと思います。

宗教とアイデンティティ

 アイデンティティというのは、自分がどのような人物だと捉えるかという考え方のことです。世界の多くの場所では、自分がどの宗教を信じているか、ということがアイデンティティの重要な一部となっています。

 さてみなさんはどうでしょうか。特定の宗教を信じているとはっきりと言えますか。毎週キリスト教の教会に通っている人や、仏教徒で頻繁に菩提寺に行くという人もいるでしょう。ただ、「日本人の国民性調査」という、統計数理研究所が五年ごとに行っている最新の調査(2013年)によると、特定の宗教を信じている人は28%、信じていない人は72%となっています。つまり、10人に7人は無宗教だと考えているということです。

 このように、無宗教の人が過半数を占める国はどのくらいあるでしょうか。2014年に発表された国際ピューリサーチセンターによる232カ国(国と地域合わせて)のうち、わずか6つの国のみだということです。

 さて、無宗教の人が多い国には他にどんな国があるでしょうか。同調査によるとチェコスロバキア、エストニア、北朝鮮、中国などでは過半数が無宗教と答えています。これらはすべて、共産党が現在支配している国や過去において共産党が強い勢力を持っていた国・地域です。共産党が支配している国では、共産主義の考え方そのものが宗教と対立するため、宗教者や宗教的行為が弾圧されることが多いからです。

 ところが、日本ではすべての宗教が国家や政党によって禁じられたことはありません。江戸時代にはキリスト教が禁じられましたが、代わりに仏教徒として登録することが求められました。明治時代には仏教が排斥されましたが、神道が国家の宗教として奨励されました。また第二次大戦後に制定された憲法によって宗教の自由が確立されてから70年がたちます。しかし、日本人は宗教を信仰しようとしない人が多数派なのです。

 でも、世界の大多数の国では、どの宗教を信じているか、ということが重要なアイデンティティになります。どの宗教を信じているかによって、どのような行動をするのか、どのようなお祭りをするのか、どのような結婚式や葬式をするのか、成人とされる年齢が何歳か、ということが決まります。

 例えば、アメリカ合衆国やヨーロッパ諸国では、キリスト教徒が多数派なので、クリスマスが盛大に祝われますが、クリスマスツリーやキリスト誕生にちなんだジオラマを飾ってクリスマスを祝うのはキリスト教徒が中心です。これらはユダヤ教徒も多い国々ですが、ユダヤ教徒であればクリスマスを祝ってはならないというのが原則です。(実際にはユダヤ教徒であっても、日本人と同じようにクリスマスの雰囲気を楽しむためにクリスマスツリーを飾ったりプレゼントを贈る人もいます。)

 アメリカ合衆国は宗教を真剣に考える人が多い国です。キリスト教徒が多数派ですが、少数派のユダヤ教徒やイスラーム教徒に配慮をします。例えば、クリスマスにクリスマスカードを送りあってクリスマスを祝うことが伝統的に広く行われていましたが、現在ではキリスト教徒とはっきり分かる人にしか「クリスマスカード」は送らないようにします。その他の人には「Season’s greetings(季節のご挨拶)」というカードを送るようにします。

 さて、日本ではどうでしょうか。クリスマスは多くの方が楽しみにするイベントだと思います。クリスマスツリーを飾るお宅も多いでしょうし、最近では電飾を家のベランダや庭に飾るお宅もありますね。でも、この飾りは多くの場合、26日を過ぎると取り去られ、大晦日には代わりに門松が飾られたりします。クリスマスを祝うからといって、キリスト教徒とは限らないのですね。

 お葬式に関しては、お寺で仏教式に行うこともありますが、近年は宗教色を排したお葬式を会館で行うことも多くなっています。結婚式も同様で、宗教とは関係ない人前式も多いですね。これまでの数百年は、お葬式は仏教で、結婚式は人前式(無宗教)でやることが多かったので、結婚式に宗教色がないのは伝統的とも言えます。とはいえ、キリスト教会でウェディングドレスを着て、神父さまの前で誓い、指輪を交換する、という式を夢見る人も多いでしょう。でも、そのような式を挙げる人がキリスト教徒とは限りませんよね。

 宗教色の強い国では、自分がどの宗教の信者であるかを明確にしておかないと不都合があります。ヨーロッパ諸国では、キリスト教会で結婚式を挙げたくても、その宗派に信徒として登録し、一定の寄付(あるいは税金)を払っていないと挙式できないこともあります。教会に通っていない人たち(キリスト教以外の人を含む)はタウンホール(公会堂、市役所など)で挙式するのが普通です。

日本の宗教と東南アジアの宗教

写真1:シンガポールの仏教寺院「仏歯寺」
 さて、日本ではどのような宗教が主流なのでしょうか。文化庁の『宗教年鑑』によれば、神道系1億500万人超、仏教系は9000万人程度となっています。両方合わせると2億くらいなので、日本人の人口1億2000万の二倍近くて冷静に考えるとあり得ない数字ですね。神道の信者のほとんどは、神社神道系で9500万人くらいです。これは、ある神社の氏子とされる人が住む地域の住人すべてを計算に入れています。ですからほとんどの日本人が計算に入っているのです。仏教も同様で、菩提寺といわれるそれぞれの家庭が属するお寺の檀家とされる人を足したものがほとんどを占めています。

写真2:シンガポールのキリスト教会
 神道と仏教の信徒は、重なって数えられている場合が多くあり、しかもそれぞれ特に神道や仏教を信じていないと考えている人が相当数含まれているようです。実際に私たち自身や周りの人々の生活を振り返ると、特定の宗教を熱心に信じている人は少数派なのにもかかわらず、正月に神社に初詣に行ったり、お寺に墓参りに行ったりする人は多いですよね。このような人たちが神道の信徒としても、仏教の信徒としても数えられているのだと推測できます。

 日本にはある宗教を信じているという自覚がないにもかかわらず、宗教的な行為をする人が多いのです。ですから、無宗教だと答える人が7割を超えるにもかかわらず、「宗教心は大切か」という問に、「大切だ」と答える人が6割を超えています(統計数理研究所の2013年の調査では66%が大切だと答えています)。

 

写真3:イスラームのモスク(礼拝所)
 ところが、東南アジアの国々では事情がずいぶん違います。一人一人がどの宗教を信じているか、はっきりと自覚しています。自覚せざるを得ません。例えば、シンガポールの住人は、主に中華系(華人といいます)、マレー系(マレーシアに住んでいる人たちと同じ民族です)、タミル系(インドの南部に住んでいる民族)の三つです。華人は主に仏教か道教、マレー系はイスラーム、タミル系はヒンドゥー教を信じていることが多く、このほかに華人やマレー系のキリスト教徒もいます。無宗教と答える人はどの調査でも2割前後です。仏教を信じる人が3割くらい、キリスト教が2割弱、イスラームが15%くらい、道教が1割くらい、ヒンドゥー教が5%前後と言われています。圧倒的に多数の人が自分の宗教を自覚して、その宗教に沿った行動様式をします。キリスト教式の結婚式を挙げるのは新婚夫婦の少なくとも一人がキリスト教徒の場合です。イスラームを信じる人がキリスト教会で結婚式を挙げるなど、決してありえません。シンガポールの仏教寺院は中国本国と同じような色彩とスタイルです(写真1をごらんください)。歴史あるキリスト教会(写真2)やイスラームのモスク(写真3)もあります。人口500万人くらいの小さな国に様々な宗教がそれぞれ主張をしながら共存しています。

 

写真4:ミャンマーのお寺の中にあるパゴダ(仏塔)
 インドネシアは、多民族国家で言語も700くらいある国です。この国では、宗教を登録することが、性別を登録することと同じように重要です。無宗教だと宣言することは2000年頃まで大変危険な行為でした。共産主義の国々では宗教が弾圧されることが多いことは上に述べましたが、インドネシアは共産主義の中華人民共和国と距離を置く必要から、共産党の人々を弾圧しました。無宗教だと宣言する人は共産党だと見なされ、私刑の対象になったり投獄されたりするので、インドネシアを訪れる外国人を含めて誰もが自分の宗教を明確にすることが重要でした。私はインドネシアを訪問しはじめて20年くらいになりますが、宗教を明らかにする必要があるとインドネシアの専門家から注意を受け、最初から「仏教徒である」と自己紹介しています。インドネシアではどの宗教でもいいわけではなくて、イスラーム、キリスト教プロテスタント、キリスト教カトリック、ヒンドゥー教、仏教のどれかから選ばなくてはなりません。

写真5:タイのお寺
 タイやミャンマーにも多くの民族がいますが、多数派が信仰するのは仏教です。タイやミャンマーの仏教は上座部仏教(テラワーダ仏教)で、日本の大乗仏教(マハーヤーナ仏教)とはずいぶん違います。僧侶は独身でなければならず、たくさんの戒律を遵守しなければなりません。僧侶は集団で寺院に住むことが基本です。衣はそれぞれの地域の宗派によって異なりますが、赤やオレンジと決まっています。お寺の色も派手で、黄金の飾りがついています(ミャンマーのお寺の黄金の仏塔は写真4、タイのお寺の外観は写真5をごらんください)。人々は自分の誕生した曜日に、あるいはデートやお散歩でも寺院に行きますし、仏教の重要なお祭りにも寺院に行きます。仏像をいくつも家に飾るのも普通です。お寺の近くには仏像や仏像に備える器などを売るお店がいっぱいあります(写真6をごらんください)。日本のお寺とはずいぶん様子が違いますよね。

 

写真6:ミャンマーの寺院前の参道の両脇にある仏像の店
 上記の二つの国には少数派ですがキリスト教徒やイスラームを信じる民族がいて、紛争やテロのタネになってはいます。でも、基本的には異なる宗教を信じる人々が平和に共存しています。

 日本は宗教が大事だと思っている人が多いにもかかわらず、共産主義国でもないのに無宗教と答える人が多数派で、自分の宗教を自覚せず一生を終えることもできる国です。私たちにとっては自然なことでもアジア諸国の中では極めて稀で特異な状況を呈する国なのです。

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