柴田 雅生 教授 「木熟」考 —言葉の省略をめぐって

背景

省略が多い日本語

 日本語には省略が多いと言われることがあります。確かに、身の回りから「スマホ(スマートフォン)」「ウザイ(うざったい)」「アナユキ(アナと雪の女王)」などという語を挙げることはそんなに難しくなさそうです。また、文の主語を明示しないこともその一つと言ってよいでしょう。主語の省略については、日本語に関わる事典の多くが省略の例として挙げています。これは文レベルでの省略と言えますが、日本語において主語をどのように認めるかによって扱いが変わるでしょう。『応用言語学事典』(研究社)には、ウチとソトを峻別する文化では省略が起こりやすく、省略の表現機能は読み手、書き手、あるいは文中の人物を、ウチの人に引き込む機能がある、という考え(牧野成一『ウチとソトの言語文化学』)を紹介しています。あるいは、俳句や短歌といった短詩型文学と関連づけた論調もありそうです。また、省略された結果の形式に一定の特徴をもつ(4拍となることが多い)ことも指摘されています。

省略することの意味

 ところで、言葉の省略とは言葉の形式の上でのことです。ここでは省略された形が語のかたちをとるもの(略語)を扱うと、「携帯電話」とその略語である「携帯(ケータイ)」は、少なくとも指し示すものは変わりません。当たり前のことかもしれませんが、意味の上で省略されるものはないのです。また、省略される前の姿と省略された結果としての姿が両方共に意識される(あるいは意識することが可能)から省略という見方が成り立ちます。したがって、省略された形が当たり前になって、省略する前の形が忘れられれば、省略して出来上がったかたちでも、それは省略形とは呼べないという考え方もできそうです。

 先にも記したように、文のレベルでの省略もあるのですが、元の形がそれほど明確にならないことも多いのが実情です。また、その言葉が実際に使用される場面に左右されるため、省略の前の姿を具体的に捉えることは困難です。以下では、語のレベルでの省略(略語)をめぐって少し考えてみたいと思います。

「木熟」を何とよむか

 
 さて、「省略」について少しばかり考えをめぐらすようになったのは、近くのスーパーに陳列されている商品に「木熟~」というラベルを見てからでした。「木熟」——はて、何と読むのだろうか、というのが最初の印象でした。音読して「もくじゅく」「ぼくじゅく」か、あるいは漢字の意味から推量して「きなり」か、としばらく考えあぐねたのですが、その疑問は最初に見てから1ヵ月ほどである程度解消されました。同じスーパーで見かけた「木熟みかん」というラベルに、「きじゅく」という振り仮名が振られていたからです。

 「木熟」を「きじゅく」と読むことは、「木」を訓読みにし、「熟」の音読みと組み合わせたもので、湯桶読み(「湯」の訓読みであるユに「桶」の音読みトウの組み合わせ)と呼ばれます。音読みと訓読みの組み合わせの順序が逆のものが重箱読みです。この湯桶読み・重箱読みは日本語の特徴を考えていく際に興味深い問題を提供してくれます。ただ、ここでは指摘だけに留めて、どのようにして「木熟」という語になったかを取り上げたいと思います。

「木熟」という語の成立背景

 「木熟」という語はおそらく国語辞典には掲載されていない語でしょう。最大規模の『日本国語大辞典』(小学館)には見当たりません。そうなると、インターネット上で情報を収集するほかありません。すると、2月11日現在で27,500件ほどが該当しました。どうやら元は、和歌山県農業協同組合がミカンやポンカンなどの柑橘類などを「木成りのまま完熟させた」として、果実名の上につけたのが始まりのようでした。果物はもぎ取った後も熟成が進むので、実が青い状態の時に摘み取って、家庭に届く頃にちょうど食べ頃になるようにすることが多いのですが、「木熟」は木についた状態で実を熟成させてから摘み取って出荷するという、品質を重視している商品だということです。

 ただ、これは和歌山県農協の話であって、他の産地や野菜・果実の場合は事情が異なるかもしれません。事実、最初に挙げたミニトマトには振り仮名がついておらず、何とよむかは確定できません。私が最初に抱いた疑問について「ある程度」解消されましたとしたのは、このためです。ただ、そのスーパーの木熟ミカンは和歌山県産とは限らないようでしたので、ミニトマトの場合も同じよみである可能性が高いだろうと推察したまでです。

造語法と省略

 ここで私が注目したいのは、「木成りのまま完熟させた」ということから「木熟」が生まれたという、そのつくりかたです。なお、「木成りのまま完熟させた」は、あくまで元の姿と考えられる典型的な表現であって、「木で熟させた」「木についたまま熟すのを待った」などでも構いません。

 語をどのようにつくりだすのかという方法は造語法と呼ばれます。「木熟」は、商品名という固有名詞にも関わるので一般化は難しいかもしれませんが、まず考えられるのが、「熟」という後半の要素が、「完熟」「成熟」などという語によって定着していたために、「—じゅく(熟)」という他の語をつくりだす力(造語力)をもつ造語成分となり、それに「木」が結びついたという見方です。似たような例には、「かんじゅく(甘熟)」「ついじゅく(追熟)」などが挙げられるでしょう。語の成り立ち(造語)の説明としてはこれで基本的には十分だろうと思います。

 しかし、その一方で、「木成りのまま完熟させた」が「木熟」となるに当たって、いくらか省略が施されてつくられていることも確かです(ただ、元の姿を「木で熟させた」と考えれば、省略した要素はないとも言えそうです)。この時、注意したいのが、元の姿と想定する「木成りのまま完熟させた」が、語ではなく、文または句のかたちをとっていることです。語のレベルに省略した結果である略語は、元のかたちも語であることが多いのですが(特別急行→特急、パーソナルコンピューター→パソコンなど)、ここでは文や句を省略して語にしているということです。

 管見では、このような例は、これまで発想法の問題としては扱われても、言葉そのものの事柄として扱われてこなかったように思います。固有名詞に例が多いという事情も関わっているからかもしれません。けれども、少し頭を巡らせれば、一般的な言葉にも類例は見付けられそうです。例えば、「ダメモト(駄目で元々)」、ことわざでは「タナボタ(棚からぼた餅)」など、近年では「キヨブタ(清水の舞台から飛び降りる)」「アケオメ(明けましておめでとう)」なども挙げられそうです。近年の例は一時的な言い方に終わる可能性がありましょうが、そのほかは今後も使われていくだろうと思います。

 詳しい調べはこれからですが、現代の日本語は、上記のような文や句から語をつくり出す方法が以前より広がってきているのではないかと想像しています。つまり、造語の方法に少し変化が出てきているのではないかということです。KYなどといったアルファベットによる造語(これにも文や句を対象とする例があります)が目立つ一方で、別のタイプの造語法にも変化がないか、目を向けてみる必要があると考えています。

省略から言葉を考える

 本コラムでは、省略という概念を広く捉えてみました。元のかたちが必ずしもはっきりしないのが難点ですが、それでも想定される範囲が決められるのであれば、考察できないわけではないだろうと思います。命名という観点からは、近年取り沙汰されるキラキラネームなどの人名も同様に考えられる部分があるかもしれません。また、日本語の造語法の特徴でもある漢字に関わる略語、具体的には、元の語の漢字をつなげた略語(高等学校→高校)や、元の語とは漢字のよみを違える略語(大阪・神戸(おおさかこうべ)間→阪神(はんしん)間)の存在も考慮に入れる必要があるでしょう。ともあれ、身近な例から始めて、さまざまに考えることができるのも日本語の母語話者ならではのこと。このコラムがそのきっかけになれば幸いです。

 最後に蛇足ですが、上に示した写真の「木熟ミニトマト」について、ミニトマトは「木」ではないだろうというツッコミがあるかもしれません。言葉には理屈だけでは捉えきれない部分がありますので、野暮なことは言わないこととしましょう。

 
 

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