田村 良平 教授 古典藝能の再生~能〈墨染櫻〉完全版の復興をめぐって

背景

能〈墨染櫻〉完全版の復興

 みなさんの中には、「古典藝能とは、何百年も昔から変わらず温存されてきたもの」と思い込む方も多いようですが、それは一面では正しくても多くの部分で違います。

 私は古典藝能の、特に室町時代におこり現在も盛んに上演される能・狂言の、研究・評論に携わっています。それも、机上の学問としてではなく、実際に舞台で演ぜられる形態を対象としますので、今は上演されなくなった古い作品の復興や、現在上演される演目の再検討など、創造に類する実地作業に関わることも近年は多いのです。

 来年(2015年)の2月7日(土)、大阪・大槻能楽堂で主催される「自主公演能・研究公演」において、私の演出で能〈墨染櫻〉を完全な形で復興・再演する機会がありますから(シテ:観世流・大槻文藏氏)、今回はそれを軸に「古典藝能の再生」についてその一端をご紹介しましょう。

桜の精が登場する能〈墨染櫻〉

 能〈墨染櫻〉のあらすじは、こうです。

 「平安時代初め。仁明天皇が崩御し、京都の郊外・深草の地に御陵が築かれた。天皇に仕えた貴族・上野岑雄(かんづけのみねお)はその後を追って出家。深草の御陵に参り「深草の野辺の桜し心あらばこの春ばかり墨染に咲け」と和歌を詠むと一人の女が現われ、「私の髪を剃って尼にして頂きたい」と切望する。岑雄が願いを叶えてやると女は「先刻の和歌のうち、『この春ばかり』を『この春よりは』と改めてほしい」と打ち明け、消え失せる。

 女人の正体は、亡き天皇が愛した深草の桜の名木の精だった。たまたま訪れた里人は、御領のかたわらに咲くその桜の花が墨染(灰色)に変わっているのに驚く。

 その夜。岑雄の読経に引かれた桜の精が尼姿で再び現われ、桜のすばらしさを説き、この世の無常を語り、さらに、植物の精でありながら出家できた喜びを示して舞い、『深草の野辺の桜し心あらばこの春よりは墨染に咲け』と謡いつつ消えてゆく。」

 植物の精が人間の姿になって出現するドラマは能の一ジャンルをなします。室町時代後期に成立したらしいこの能もその一つで、色々な意味でちょっと凝った作品に仕上がっています。舞台には桜の造花を飾った塚の作り物(能独自の簡易な舞台装置)が据えられ、シテはここに入って装束を変えます。前後の二場に分かれる前半は、美しい女人が舞台上で花帽子(はなのぼうし=僧や尼が頭部を覆い隠す頭巾)を着けて出家する場面が見どころ。後半は尼姿の後ジテの舞が眼目。花帽子を着けたまま長大な舞を披露する能は現行では他に〈佛原〉あるのみ。珍しい趣向です。

 作品のテーマは、「天皇の追悼をきっかけにして僧=仏法と出逢えた桜の精が、出家の望みが叶った喜びを舞に託す」と言えましょうか。原作の詞章を読むと、前半「死者を悼む哀しみ」が転じて後半「出家の歓喜」に移り変わるさまが自然に描かれ、全体に変化がありますので、追悼とはいえ単にメソメソ湿っぽいだけの能ではありません。

金剛流の現行〈墨染櫻〉は明治の縮小新版

 能のシテ方(主役を勤める職責)には5つの流儀があります。現在〈墨染櫻〉はそのうち金剛流のみのレパートリーですが、現時点おそらく平成元年(1989年)の舞台が最後で、今世紀に入ってからまだ一度も上演されていない稀曲です。

 そもそも〈墨染櫻〉の江戸時代以前の上演記録は現在のところ見つかっていず、江戸時代に入って幕府公儀の催しで出たこともなく、シテ方五流の正規演目に加えられたことは一度もありません。わずかに、元禄11年(1698年)に謡本として出版されたことが、この作品が社会にある程度広く受け容れられた唯一の機会と言ってよろしいのですが、むろんそれは舞台藝術=見るものとしてではなく、本として=読むものとしての普及でした。

 したがって、金剛流〈墨染櫻〉の上演史も浅いのです。国立能楽堂発刊『明治の能楽(一)』を見ると、明治8年(1875年)5月8日・東京日日新聞掲載公告に、同月11日・芝飯倉三丁目金剛能組のうち「新能」と特記されて〈墨染櫻〉の上演予告があり、これが同流にこの能が初めて導入された記録と思われます。その後、明治年間に数回。大正時代には上演されず、昭和の戦前に一度。その後、廃曲になりかけたのを、昭和53年(1978年)に先代金剛流家元・二世金剛巌が復興してようやく流儀に残った、金剛流としても近代の特異演目です。

 明治の金剛流に〈墨染櫻〉を新規演目として採用したのは、初演でシテも勤めた当時の家元・金剛唯一(氏成・1815~84年)と思われます。江戸幕府崩壊後、能・狂言が一時的に滅亡の危機に瀕していた当時、東京に残って活動を継続したシテ方唯一の家元として彼の業績は実に偉大なのですが、現在それは正当に検証されていませんか。今後の研究が待たれます。

 その金剛唯一が採用したのは、古くからある形式の〈墨染櫻〉ではなく、彼が独自に考案したらしい、大幅に切り詰められた別本なのです。この金剛流現行版は原作と比較するとほぼ三分の二の長さに縮められ前半の出家場面がなく、随所で言葉も異なります。

 「完全版」を謳う今回の復曲は、縮約されて本来の面目を失った金剛流現行版ではない原作型を新たに制作し、この能の真の意図を探るものです。

能〈墨染櫻〉完全版復曲の一端

 謡本として現存する〈墨染櫻〉には室町時代後期以来いくつかの形があります。主要諸本を比較・校合すると、A・室町期古本、B・江戸期改訂形、C・金剛流現行形、以上に大別されます。つまり、江戸時代においても、祖型であろうAから、その改作であるBへ、内容の変更がなされているのです。これは上演曲としてではなく「読む能」として普及したはずの演目として、きわめて珍しいことです。そして、そのA→Bへの改訂は色々な意味で優れているのです。

 AからBへの改訂の大きな要点は、次の2点。

 ①前ジテ・女人がワキ・上野岑雄に出家を願う段で、Aでは衣を所望します。これは明確に先行作〈三輪〉の趣向(女が僧に所望して衣を与えられる)の引用ですが、後場へのつながりとしてその衣が有機的に活かされる〈三輪〉と異なり、〈墨染櫻〉では「伝法の証」とはいえ当座の頂戴物としてしか機能せず、せっかく受けた衣が活きていません。これをBでは剃髪の依頼に変え、その髪を剃るのに必須の道具として盥を持ち出します。水鏡の型(水面に女姿ではなく桜の花影ばかりが映る驚きの場面)はAにもありますが、盥を出さないAでは地面を流れる流水にたまたま映るのであって舞台面を想定するとその効果は稀薄であり、今生俗世への決別として舞台に実際に持ち出される盥にわが姿を自発的に映し出すBに比べて、その効果と重要度は雲泥の差です(劇的に重要な以上の部分を金剛流では全面削除しています)。

 ②Bでは【クセ】に続けて【ロンギ】が加えられ、[乱拍子]につながれます。【クセ】から直接[序ノ舞]となる金剛流は、結果としてAに回帰した形(これについては煩瑣にわたるためここでは省略します)。

 以上、いささか専門用語を使わざるを得ないものの、単に①だけ考えても、BはAに比して格段に見栄えがし、劇性にも優れていることが、ぼんやりとは理解されるでしょう。 今回の上演能本はBに準拠しつつ、単純な校訂本文を作らず、Bの拠って立つ元禄本に準拠しました。この、先述した江戸期唯一の刊本・元禄11年田方屋伊右衛門板本は、格段に優れた修訂を試みているからです。完曲〈墨染櫻〉唯一の活字翻刻『宴曲十七帖附謡曲末百番』(大正元年・國書刊行會)所収本文も、『謡曲大観』〈墨染櫻〉末尾掲載の〔考異〕も、この元禄本に基づいています。

 元禄本の優れている主な箇所を例に挙げてみます(引用文は適宜かな・漢字を改めています)。

 たとえば、前場【ロンギ】の末尾近く。Aの「君がためなる薫物(たきもの)の。枕香ながら切髪の」(東大史料編纂所蔵の枡型本と観善署名本)はB一般に受け継がれ、別にC現行金剛流では「枕香(まくらか)」が「沈香(じんこう)」と訛伝しています。Aの「枕香」とは艶やかですが消化不良気味な言葉で、「枕」から連想される寝室を匂わせる劇的背景もここにはなく、「枕」の語が浮き上がってしまっています。この「枕香ながら切髪の」を元禄本では「梅が香ながら黒髪の」と大胆に置き換えています。「梅が香」は丸薬状に丸めた香粒の雅称で「たきもの」と同じ意味。その黒粒の色から「黒髪」につなげた行文は緊密、香りも高いのです。同時に、正式な出家ではない半出家を示す語「切髪」を引っ込めたのは、Aの授衣からBの剃髪に改めた改訂意図とも通底しています。

 同様のことは後場の【次第】にも見られます。A一般の「言葉を花の夕べとや」に対し、元禄本のみここを「青葉を花の夕べとや」と改めているのです。昔から「言葉の花」という語ならばあるにはありますが「言葉を花と」という言い回しはいかにも未熟ですし、特段の意味をなすものでもありません。これに比べて、「言」を字体のよく似た「青」に置き換えたのは奇想と言えば奇想ですけれど、「青葉を花の夕べとや」と連ねた雅語としての美しさは格別です。「散り尽くしたあとの青葉に夕桜のなごりが思い描かれるように、潔く黒髪を剃り青道心(出家初心者)となった尼の身ながら、墨染に色変じたこの花にも、舞を舞う女としてわずかな色香の名残はございます」という心でもあるでしょう。

 もっとも、「読むための能」とはいえ舞台での上演を想定した改訂が窺える元禄本でも、そのまま実演に供するには無理な部分は随所にあります。後場【ロンギ】の末尾は元禄本では「御弟子となりし悦びに。舞一手奏でん」とあるばかりで、すぐ前述の【次第】につながりますが、これでは性急すぎて、続く[乱拍子](中世の女藝人・白拍子が得意とした、足踏みに特徴のある長大なダンス)がいかにも踏みにくい。これを今回、「御弟子となりし悦びに。藤の衣を飜し。法樂報恩の舞一手いざや奏でん」と私の手で補綴しました。この【ロンギ】、引用部分のほかにも桜はもちろん、桃・李・躑躅と、春の花尽くしになっている縁で新たに「藤」と補筆したのですが、「藤の衣」は喪服の、転じて墨染衣の雅称、という劇的意図を効かせています。同時に、「法樂報恩の舞」とは、先ほども述べたように、この能の劇主題「天皇の追悼をきっかけに僧(および僧が象徴する仏法そのもの)と出逢えた桜の精が、出家の望み叶って喜びを舞に託す」に関わる語なのです。

上演を重ねてこそ意味のある試み

 完全版〈墨染櫻〉は今回が初演ではありません。平成21年3月に東京・宝生能楽堂「塩津哲生の會特別公演」において同じく私の演出・補綴で初めて上演され(シテ:喜多流・塩津哲生氏)、このたびはその成果に基づいて練り直し、再演するものです。シテ方の流儀が異なりますから、能役者たちと相談を重ねつつ、一応、一から作り直すことになります。 こうした創造作業は、常日ごろの定番化した能上演に大きな刺激を与える効果があります。新たなレパートリーに正面から向かい合うことによって、「古典とは何か」を考察する実地のきっかけとなりますし、何より、普段ならば何気なく演じ流してしまいがちな細部に至るまで検証・確認する必要から、舞台を作り上げる時に必要な本質的な克明さを回復させる好機ともなるわけです。

 ここではあくまでその一端しかご紹介できませんから、ご興味のある方は是非ホンモノの舞台に足を運ばれ、美しく格調高い名作〈墨染櫻〉完全版に実地に接して頂き、「古典藝能の再生」とはいかなることか考えて頂ければ、まことに幸いです。

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