ことばと文化のミニ講座

【Vol.80】 2014.2   柴田 雅生

ことばの変化とゆれ

ことばは変化するもの

ことばは時とともに移ろい、変化してゆく。日本語だけでなく、地球上にある言語はすべて、この同じ性質を有していると言ってよいでしょう。一部の例外、すなわちラテン語などのように、現在では日常的に使われない言語を除いては。西洋におけるラテン語、あるいは日本語で言えば古語(古典作品の中のことば)は、現代の日常生活の中では新たに使われることはありません。古語を習うということは、古い時代から伝えられてきた作品(古典)を読んで理解することであって、その言葉を用いて何かを表現しようとすることは、通常ありえません(学習の一段階としての作文などは例外とします)。ことばを受け取るだけであるならばことばには変化の可能性はありません。反対に、それを用いて表現するということは、それが鸚鵡返しのようなものであっても、発音やそこに込められた内容にはわずかながらでも違いが生まれます。つまり、ことばというものは使われる以上は変化を避けて通ることができないということです。

そうなると、変化する・しないということよりも、どのように変化するかということが第一に考えられなければならないでしょう。そして、ことばそのものの性質以外で変化に関わる要因があるのか、それがあるならばどのようなものであるか、が問われる必要があります。外的要因とは、例えば、外国語との接触や社会における制度や事物の変化などです。

ことばは簡単には変わらない

ところで、「ことばは変化する」ということを今確認しましたが、この場合の「ことば」は「言語」全般のことであり、自分が使っている具体的な言語を思い浮かべることも多いでしょう。その具体的な言語には数多くの単語や表現が存在します。実際に感じ取られることばの変化とは、個々の単語や表現の変化のはずです。
例えば、高校での古典の授業で、古語「うつくし」「おどろく」が現代語の「うつくしい」「おどろく」とは意味(語義)が異なることを習ったという人も多いでしょう。「うつくし」は<かわいらしい>、「おどろく」は<目が覚める>という意味で、かつて使われていました。ここにははっきりとした語義の変化を見ることができます。また、現在は「あたらしい(新)」という言い方になっている語は、かつては「あらたし」というかたちで表現されていました(「あらたな」という連体詞はその名残とも言える語です)。明治期にはハンケチと言われたものが、現在ではハンカチが主流となりました。このほかにも、言い方の違い、つまりことばのかたちに変化が生まれている語は他にもたくさん挙げることができます。

一方、変わらずに使い続けられている単語や表現も少なくありません。むしろ、その方が大多数を占めます。例えば、「やま(山)」「いきる(生)」「ふかい(深)」などは文献が残されている奈良時代頃から基本的には同じ使い方で使われています。「試験のヤマをはる」「(野球で)一塁に生きる」「深い味わい」などのように、他のものごとへ応用した用法は追加されましたが、<陸地のうちで表面が著しく高く盛り上がった部分><自律的な営みとして運動・呼吸や活動を続けてこの世に存在する><底や奥までなかなか届かないさま>という意味はずっと変わらずに使い続けられています。改め言うことではないかもしれませんが、ことばは簡単に変わるものでもないことも押さえておかなければなりません。そうそう簡単に変わってしまっては意志疎通も難しくなりますから。
ことばは変わるものだけれど、簡単には変わらない。そうなると、どう変わるのか、何故変わるのかを把握することがやはり大事だということになります。

変化することば・変化しないことば

では、変化が起こりやすいことばというものはあるのでしょうか。反対に、なかなか変化しないということばは何でしょうか。
絶対ということはないでしょうが、一般的に基本的な語は変わりにくく、知ってはいるがあまり使ったことのない語や新しく使われるようになった語には変化の可能性が高いということは言えそうです。つまり、使い慣れない語は相対的に変化しやすいと考えられます。例えば、慣用句「気の置けない人」が<信頼できない人>の意味に解されるようになった背景には、使用頻度が以前より下がったことが関わっている可能性があるでしょう。平成14年度に実施された「国語に関する世論調査」で、10代後半で「気の置けない人」を「使う」と答えた人の割合は17%、「見たり聞いたりしたことがあるが使わない」が57.1%、「見たり聞いたりしたことがない」が23.2%となっていて、「使う」と答えた割合が約40%以上を占める20代以上とは大きな違いを見せています。その使用実態を反映してか、<相手に対して気配りや遠慮をしなくてよいこと>という本来の意味を選んだ人の割合は、10代後半で23.2%、一般に誤用とされる<相手に対して気配りや遠慮をしなくてはならないこと>の意味を選んだ人の割合が57.1%を占めます。20代・30代ではいわゆる正用・誤用が拮抗し、40代以上は正用が多くなります(とは言っても、60代以上でも誤用を選んだ人が約40%いるのは現実が単純ではないことを窺わせます)。
一方、ふだんからよく使っている基本的な語は、使う回数が多いという点では変化のきっかけはいくらでもあるということになりますが、例えて言えばことばの屋台骨にあたる部分として簡単には変えられないという意識がはたらくのかもしれません。同じことばであっても、私たちはことばの基礎となる部分とそうではない部分を分けて捉えているのかもしれません。

ことばのゆれ

最後に、ことばはどのように変化するかについて、「ゆれ」という捉え方と関連させて、その一端を紹介したいと思います。

「ゆれ」とは、言語体系の不安定な部分を指し、多くの場合、ある単語が同じ機能ながらも二つ以上のかたち(語形)を有することを言います。「ゆれ」の典型例として挙げられるのは、「刻々」と記す語をコクコクと言うか、それともコッコクと発音するか、「頬」の発音はホーか、ホホか、などです。「ゆれ」は原則として一つの時期において複数のものが併存している状態を言いますが、かつてAという形式のみであったものが、Bという形式が生まれて併存することとなり、さらに進んでAが淘汰されてBが生き残るのであれば、過渡的な新旧併存の状況を指して「ゆれ」と称することも可能となります。つまり、A⇒Bという変化の過程の途中に「ゆれ」が存したと解釈できます。
また、「ゆれ」は語の内容面、つまり意味(語義)について言うこともできます。ただし、語義は日常レベルでいつも明確に捉えられるものではないため、語形ほどには意識されないと言ってよいでしょう。上に挙げた「気の置けない人」は正反対の意味内容ですからまだしも気づきやすい違いでしょうが、慣用句「犬も歩けば棒にあたる」などは「出くわす」という意味内容に焦点が合いやすいためか、「災難に遭う」のか「幸運にあう」のかはあまり気にされないのかもしれません。

上記以外にも、「ゆれ」はきわめて多岐にわたる内容を言うことができます。それゆえに、かえってその捉え方の特徴が見いだしにくくもなっていますが、ことばの変化には何かしらの「ゆれ」が関わっていると見ることで、規範の視点からことばの「乱れ」と断ずる前に、その内実をもう少し詳細に把握できるかもしれないと考えています。まずは、身近なところに存在することばの「ゆれ」を観察するところから始めてみてはどうかと思います。
ちなみに、私が「ゆれ」はじめていると感じた最近の例は、新聞に掲載された「プロ相応の演技みせたい」という小見出しでした。取材対象の大学生の発言に基づくこの表現に、「相当」との接近を感じたのは私だけではないでしょう。

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