ことばと文化のミニ講座

【Vol.56】 2011.6   三橋 正

かわいい子には旅をさせよ

子供のことがかわいいと思うなら、手元に置いて甘やかすのではなく、旅に出させて、世の中の辛さを経験させなさい。そんな気持ちから「かわいい子には旅をさせよ」ということわざが生まれました。

旅に不安はつきもの

旅は、家や生活の本拠とする所を離れて他の場所へ行くことで、何時の時代でも不安が伴います。今でも、修学旅行や海外旅行に行く前、持ち物や旅程を気にして前日に眠れなかったという人や、仏壇や神棚に手を合わせてから出発したという人が多いのではないでしょうか。

『万葉集』(五六七)に「周防(すわ)にある岩国山を越えむ日は 手向(たむけ)よくせよ荒らしその道」とあるように、日本古代では、旅立ちの前に「手向け」と言って、交通の要衝にまつられている神に捧物をして旅の安全を祈る風習があったようです。山の坂道を登りつめた所(登りから下りにかかる境)を「峠(とうげ)」と言うのも、この「手向け」から来ていると考えられています。また、『土左日記』に「よなかばかりより船を出して漕ぎ来る道に、たむけする所あり」とあるように、船着き場などにも「手向け」をする所があったようです。「手向け」は、旅立つ人に贈る餞(はなむけ)の品である「餞別(せんべつ)」の意味に使われたり、死者の冥福を祈る行為を指したりするようにもなります。

「旅」の枕詞(まくらことば)である「草枕(くさまくら)」は、旅先で草を結んで枕にして野宿したことから来た語ですが、その枕は旅での災厄を払う力があったと考えられていたようです。また、「旅の空」という詞が「頼りにするものがなく心細いさま」をいうのも、このような旅に対する不安の表われといえるでしょう。

人を成長させる旅

旅人が不安に思うだけでなく、送り出す人も安否を気遣うもので、『万葉集』には旅人の気持ちを詠んだ歌を集めた「羇旅(たび)発想」の部だけでなく、家で待つ人の立場による「悲別歌」の部が立てられています。それが、「かわいい子には旅をさせよ」とにう積極的に旅をさせようという発想になるわけですが、その変化は江戸時代に起こったと考えられます。背景には、街道や旅籠(はたご)などが整備され、武士や商人だけでなく、農民までもが旅に出るようになったことが指摘できるでしょう。事実、江戸時代の日本は、同時代のどの国よりも安全に旅ができたと考えられています。それでも、当時の旅は徒歩が基本で、今より危険で厳しかったことは言うまでもありません。

これに相当する英語のことわざは、”Spare the rod and spoil the child. (笞を惜しむと子供がわがままになる)"で、「旅」による自立を促すものではありません。けれども、西欧社会でも旅が人を成長させるという認識があったことは事実で、例えば中世ヨーロッパの騎士が遍歴をしながら様々な経験を積み、一回りも二回りも大きくなって父母の待つ城へ戻る、という話はたくさんあります。吟遊詩人やドン・キホーテの物語などは、その延長でとらえるべきでしょう。

文化を豊かにする旅

古代における旅は、役人や軍人、商人などによる職業的な旅が中心でした。古代ローマの軍人カエサル(シーザー、BC100~BC44)による『ガリア戦記』や、中世ヴェニスの商人マルコ・ポーロ(1254~1324)による『東方見聞録』などを読むと、旅によってもたらされた異文化の情報がいかに大切であったかを認識させられます。

旅に最も情熱を傾けたのは、宗教者です。中国から経典を求めてインドに渡った玄奘三蔵(げんじょうさんぞう、602~664)の『大唐西域記(だいとうさいいきき)』は、孫悟空(そんごくう)が活躍する『西遊記(さいゆうき)』の基になった旅行記です。

平安時代に日本から中国に渡った天台宗の僧である円仁(えんにん、794~864)が著わした『入唐求法巡礼行記(にっとうぐほうじゅんれいこうき)』と成尋(じょうじん、1011~1081)の『参天台山五大山記(さんてんだいさんごだいさんき)』は、当時の中国社会を記した貴重な資料でもあります。また、遊行上人(ゆぎょうしょうにん)として知られる一遍(1239~1289)の生涯を描いた『一遍聖絵(いっぺんひじりえ)』は、鎌倉時代の最高の絵巻です。

庶民の間でも、前近代の旅の主流は、洋の東西を問わず宗教霊場(れいじょう)への参詣(巡礼)でした。その宗教的な旅によって、数々の文学作品が生み出されましたが、中にはとても宗教的とは思われないような傑作があります。14世紀のイギリスでジェフリー・チョーサー(1343~1400)によって書かれた『カンタベリー物語』は、カンタベリー大聖堂への巡礼の途中で同宿した人々が退屈しのぎに自分の知っている面白い話を披露し合うという構成になっています。日本では、江戸時代の十返舎一九(じっぺんしゃいっく、1765~1831)による『東海道中膝栗毛(とうかいどうちゅうひざくりげ)』が、江戸から伊勢神宮へお参りする弥次(やじ)さんと喜多(きた)さんの珍道中を描いています。

天才を作る旅

旅は、宗教的な枠組みから外れて、もっと個人的なものになると、偉大なる天才を育てるようになります。最も有名な人物が、作曲家のウォルフガング・アマデウス・モーツアルト(1756~1791)。英才教育を施した父レオポルドの意向により、6歳の時に初めてザルツブルクを離れてミュンヘンとウィーンへ行ったのを皮切りに、アウグスブルク、マンハイム、フランクフルト、ブリュッセル、パリ、ロンドン、アムステルダム、ミラノ、ボローニャ、フィレンツェ、ローマ、ナポリなど、ヨーロッパ中を旅し、それぞれの地で色々なものを吸収していきます。彼が35歳10ヶ月という短い生涯の中で残した数多くの名曲は、この幼少・少年時の旅なしにありえなかったのです。

フェリックス・メンデルスゾーン(1809~1847)も38歳の若さで亡くなった天才ですが、銀行家の家に生まれた彼が職業音楽家としての道を選んだのは、16歳の時、パリでロッシーニやケルビーニに会ったことによるといわれています。また、20歳でイギリスのスコットランドを旅行し、エディンバラの旧王宮に隣接するホリルード修道院を訪れた時に、交響曲の冒頭を考えつき、次に訪れた「フィンガルの洞窟」では、その情景を模写した序曲を作曲しました。交響曲の楽想は、翌年のイタリア旅行でも得ていますが、それらの完成までには時間を要し、第4番とされる「イタリア」の完成は24歳の時、第3番とされる「スコットランド」の完成は何と33歳の時です。このように、旅の成果はすぐに出るとは限りませんが、そこで受けた刺激が、個人を一回りも二回りも大きくしたのです。

自国文化を再認識させる海外旅行

凡人でも、いや、凡人だからこそ、若いうちに多くの旅行をし、多くの刺激を受けて、将来への糧としなければならないのではないでしょうか。すぐに役立つものだけを追っていては、長い人生を豊かに過ごせなくなってしまいます。日々の生活を切り詰めてでも、時間のある学生時代にできるだけ旅をして、自分自身を見つめ直し、生涯に成しえる可能性を模索すべきだと思います。

特に、海外への一人旅行は大切です。もちろん、安全を第一に、周到な計画を建てた上で。最初は親・兄弟、または先生や友人と一緒でいいかもしれませんが、いずれは不安を克服して一人で行かなければいけません。そのような意識を早くから持つことにより、外国語の習得にも熱が入るでしょう。また、日本文化を専攻する学生であっても、海外で異文化に触れ、人々と接することにより、比較文化の視点を持つことができるようになるだけでなく、逆に日本文化の価値も再認識できるようになるでしょう。その経験が自信につながり、これからの勉強・研究に計り知れない深みを持たせるはずです。

マドリードのスペイン広場にあるドン・キホーテとサンチョ・パンサ像(後の白い像は著者のセルバンテス)
マドリードのスペイン広場にあるドン・キホーテとサンチョ・パンサ像(後の白い像は著者のセルバンテス)
イギリスのカウンタベリー大聖堂
イギリスのカウンタベリー大聖堂
エディンバラ(スコットランド)のホリルード宮殿に隣接するホリルード修道院
エディンバラ(スコットランド)のホリルード宮殿に隣接するホリルード修道院
スタファ島(スコットランド)のフィンガルの洞窟
スタファ島(スコットランド)のフィンガルの洞窟志

スタファ島(スコットランド)のフィンガルの洞窟
学科の取り組み