ことばと文化のミニ講座

【Vol.51】 2010.11   元本学科教員 上原 麻有子

ヨーロッパにおける「翻訳」ということばの起源—2

ヨーロッパにおける各言語の発達は、英語でもフランス語でもドイツ語でも、ラテン語とラテン文化、あるいはギリシャ語とギリシャ文化を摂取するという形でなされました。そして、その摂取の方法として「翻訳」が不可欠だったのです。中世やルネサンス期のヨーロッパは、古い伝統のなかで文学、思想、科学などを語り表現することを通して洗練され、成熟した言語であるラテン語、あるいはギリシャ語から、積極的に修辞、語彙、概念、さらに は文化すべてを学びました。自国の民衆の「話しことば」は、こうして主にラテン語を模倣しながら「書きことば」として成長していったのです。日本語にも、漢文と漢字を摂取しながら、表記する文字さえなかった和語を「書きことば」へと育てていったという歴史がありますが、そのことを思えば、ラテン語をモデルとした各国語の成り立ちについて、もう少し理解できるような気がしますよね。

今回は、ドイツ語の「翻訳」ということばの起源を取り上げてみます。ドイツでも、日本やフランスのように、言語や文化の近代化は翻訳を通してなされたと考えられています。その最初は、カトリックに対して宗教改革を起したマルティン・ルター(1483~1546)による聖書のドイツ語翻訳です。これは一般の民衆の話すドイツ語を使った翻訳でした。ルターの翻訳のおかげで、ドイツ人は自らの言語というものを自覚し始め、キリスト教の言語(=ラテン語)ではなかった「話しことば」のドイツ語が、明瞭な「書きことば」として現れてきたのです。

ドイツ語の「翻訳する」ということば

さて、ドイツ語で「翻訳する」に当たる動詞は、übersetzenですが、類似の意味や関連する意味を表す動詞がいくつかあります。例えば、dolmetschenですが、ルターは言語と文化を形成するとも言える翻訳行為のことを、このことばで呼んでいます。また、それを「ドイツ化する」(verdeutschen)ことだと説明しています。なぜなら、ルターにとって「翻訳」とは、一般の人々が理解できるように言語表現し、また文化間の媒介をすることであったからです。

今日、dolmetschenは「通訳する」、つまり実際話していることを口頭で即座に翻訳するという意味で使われます。しかし、歴史的に見て当初、dolmetschenとübersetzenは同義語でしたが、徐々に前者は後者に取って代わられ、最終的に同義語ではなくなりました。神学者、フリードリヒ・シュライアーマハー(1768~1834)によれば、この二つの動詞は、ある言語から別の言語へ移るための二つの異なる手段、つまり翻訳行為についての二つの観点を示しているのだそうです。そして、真の翻訳とは、思考とその意味内容を対象とし、反省に訴える(übersetzen)ものなのですが、これと区別される即時的翻訳(dolmetschen)では、ことばの入れ替えは、等価と見なされる言語的価値どうしの単なる交換だということになります。ここで興味深いのは、dolmetschenとübersetzenの区別が、「翻訳」と「理解」という二つの行為の類似性に基づいている点です。「翻訳する」ということは、「理解」と「解釈」の一つの特殊なケースであると考えられているのです。

「翻訳する」とは「伝える」こと

Übersetzenには「入れ替える」という意味もあるのですが、この動詞の同義語としてもう一つ挙げるならübertragenがあります。「移し替える」というほどの意味ですが、「翻訳」と「伝達」との間の相補的な関係を際立たせることばでしょう。

哲学者のマルティン・ハイデガー(1889~1976)は、übersetzen(翻訳する)について、河岸のこちら側からあちら側へ渡すようなもので、翻訳者は渡し守だと述べています。Übersetzenが「翻訳する」の意味で使われるのは、ラテン語のtraducere(渡す)の意味においてなのです。このラテン語から派生して意味も変化した動詞が、フランス語の「翻訳する」traduireです(これについては、ミニ講座のバックナンバー41「ヨーロッパにおける「翻訳」と いうことばの起源」を参照のこと)。翻訳とは、要するに、ある言語で述べられたことを他の言語に「渡す」(=「移す」)こと、言い換えればそれを他の環境、他の文化に挿入することなのです。単なる言語的移動ではなく、精神全体が生成することです。

このような考え方は、ルターに始まり、ゲーテ、ヘルダーやドイツ・ロマン派に受け継がれるわけですが、彼らにとって、言語間の交流つまり翻訳は「教養」(Bildung)の条件、ドイツ性にかかわる要素となったのです。そして、18世紀から19世紀にかけてドイツ・ロマン派により、ヨーロッパ各国語からの文学、哲学など一連の体系的な翻訳作品が生み出されました。翻訳は外国の土壌への「移植」だとも言えるのです。

「伝統」としての「翻訳」

ハイデガーは、「伝達」(Übertragung)に「真実」という見方を加えました。イタリア語には、「翻訳者は裏切り者」(traduttore-tradittore)という表現が示すように、「翻訳」と「裏切り」の間に関連がありますが、ドイツ語にはそれがありません。そして、フランス語で「裏切る」とうい動詞trahirは、イタリア語のtradittoreと形が似ていますが、ラテン語で「伝える、打ち明ける」を意味するtradereの翻案です。ですから、フランス語のtrahirには、「明かす」という意味もあるのです。ドイツ語の「翻訳する」「伝達する」には、ラテン系の言語であるイタリア語やフランス語のtradereを引き継いだことばに共通する「裏切る」は含意されていません。フランス語の「翻訳する」traduireに「裏切る」の意味はありませんが、それでも「翻訳が裏切りだ」と言えるなら、それは翻訳が美文であったとしても原文を正確には示さないからです。翻訳は原文から去ってしまうのです。

ハイデガーは、「伝統」と「翻訳」の関連に注目し、歴史上実在する言語による基本的な語の翻訳(Übersetzung)について述べています。このような文化的に大切で意義のある翻訳においては、そこに言語の本質がかかっているというのです。「伝統」(Überlieferung)はその一例です。「伝える」(überliefern)こととしての「翻訳する」(übersetzen)は、「回復」つまり「受容」という意味を確かに含みもってきます。このドイツ語の「翻訳」あるいは「伝統」において、「入れ替え」ということは、「解放」である「再取得」を意味するのです。ハイデガーの説明によると、「解放」としてのドイツ語の「伝統」は、隠されていた宝物を取りだして明るみに出すことなのです。

ドイツ語の「伝える」は、先ほど見たラテン語の「伝える、打ち明ける」(tradere)、フランス語の「裏切る」「打ち明ける」「明かす」とつながりがあることが分かります。そして、フランス語の「翻訳する」が「裏切る」と関連するのは、「不誠実」「虚偽」という考え方に支配されているからです。しかし、ハイデガーの解釈に従えば、ドイツ語で「翻訳」とは「真実」、または「暴くこと」なのです。従って、フランス語は「暴く」という意味での「伝統」(tradition)をそれほど考慮に入れておらず、逆に、ドイツ語は「裏切り」という意味での「伝統」に重きを置いていないということが分かります。

ここまでの説明は、かなり難しく哲学的でした。「翻訳」というと一般的には、外国文学などを翻訳すること、つまり実践、あるいはその成果としての翻訳書という形を思い浮かべますが、実は、哲学的な問題を十分に具えた概念なのです。ドイツでは、翻訳についての考察は、ルター、ロマン主義、そしてハイデガーによって常になされてきました。この翻訳についての深い省察は現代思想にも受け継がれています。

哲学者、ハンス・ゲオルル・ガダマー(1900~2002)も、伝統と翻訳の不可分な関係に注目し、伝統は多くの場合翻訳を介して伝えられるが、それだけではなく伝統は本質的に翻訳なのだ、というようなことを言っています。翻訳=伝統は複数の解釈を伝えます。ここでいう複数の解釈とは、ハイデガーによれば、世界が私たちの前に現れてくる枠組み、また理解するということの実存的広がりが示される枠組み、これらを形成する世界に対する複数の理解なのです。解釈とは、人間の実存全体の理解にかかわるような問題だということです。理解するということは、受け取ることであると同時に、受け取ったものを翻訳するということになります。

ガダマーは、さらに次のように説明します。翻訳が伝統に従うことで解放し、そしてその解放が裏切りであるのなら、人は理解した途端にその理解は別の仕方で理解したものであることに気づくのだと。これは、翻訳における原文と翻訳文の間の断絶、言い換えれば同一性と差異との超え難い溝を言い表したものです。翻訳は常に両方をまたいでいるのです。不誠実は避けがたい事態となっているのですが、それゆえに翻訳は真実とは何かを明かすことになるのです。翻訳=伝統=裏切りは、こうして、言語上の厳格さを失ってしまいます。人間が実現される次元である言語の本質が明らかになるということこそ、言語上の厳格さに他ならないのですが。

ことばについて考える

ドイツ語の「翻訳する」という動詞の語源をたどりながら、哲学者の説明に従って、ことばの厳密な解釈を紹介してみました。手ごわい内容であったかもしれませんが、ことばとどうやって取り組むのかということ、また今まで皆さんが知らなかった翻訳の側面について、少しお分かりいただけたかと思います。普段、意識せずに軽く使っている一つ一つのことばについて、時には意識の奥深くまで沈みながらじっくり考えてみてください。それが、自分自身を理解することなのです。


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