ことばと文化のミニ講座

【Vol.31】 2008.10   田村 良平

能と能面

【能面は「無表情」か?】

能を見たことのない人でも、「能面」と聞けば必ずやそのものがイメージされるように、日本の仮面の中で最も知られたものが能面でしょう。

ただし、実際にこれを使用する能役者たちは「能面」と、ふつうは言いません。役者は「面」を「おもて」と呼びます。すなわち面(おもて)とは、自己の内面に対する外面=顔と同一体のものなのです。また、面を「かぶる」とも言いません。能面は小型で、たとえば奈良時代以来の伝統を誇る古典舞踊・舞楽で用いる仮面が時として額から横顔までを覆う大型であるのとは異なり、素顔の一部がはみ出て見えるものですから「かぶる」と言えないという事情もありますけれど、やはりこれには精神的な意味合いがあるのです。

能の面を装着することを「つける」とか「かける」と言います。自己の生身の顔に重ねて、演技上の別の顔を「付ける」のであって、言い換えれば、自分自身の顔の上に仮の顔である面を「掛ける」のです。こうした言い回しには、役になりきって沈潜しながらも、いっぽうでは演じ手としての冷静な自己を失わない、能面を用いた演技の特異な二重性が現われています。

それだけに、「もう一つの顔」である能面を効果的に扱うには、用いる役者が面の活殺を十分に心得ていなければなりません。これは精神論ではなく、ひとえに面をつかう技術の問題です。逆にいえば、面は個体の彫刻として完成しているのではなく、役者によって使いこなされることを前提に作られているのです。世にある名作といわれる面に限って、手に取り間近で見るよりも、舞台の上で見たほうが比較にならぬほど生き生きとしているものです。反対に、彫刻作品としてはまずまず優秀な品でも、舞台で使用されると見るに堪えない、ということはしばしばあります。

したがって、優れた役者が巧みな技術によって使いこなすと、能面は実にさまざまな表情を見せます。こうした舞台上の活用を見ず、ただ物品としての能面、しかも博物館などの展示品をガラス越しに見て、それどころか実物ではなく写真を見るばかりで、「能面を無表情だ」と評するのは、まったく道理を失った妄言と言う以外ありません。

【能面のいろいろ】

能の役柄に合わせてさまざまに創造されてきた能面の中で、最もよく知られているのはいわゆる女面、中でも若く美麗な女性の相貌を示す品でしょう。

世阿弥(1363?~1443年?)によって能が大成されたのは、室町初期。それ以前から伝わる最古作ジャンルの女面が「小面(こおもて)」で、これは十代の清純な女性を現わす面です。小面は最も著名な能面ですが、これは古来、能のシテ方(主演担当者)五流派のうちでも下ガカリと称せられる金春・金剛・喜多流で主に用いられてたきもので、上ガカリと呼ばれる観世・宝生流では脇役用として使用し、あまり重きは置かれていませんでした。上ガカリ、ことにその主流をなす観世流で桃山時代まで主要な女面とされたのは「深井(ふかい)」でした。現在これは、中年女性の相貌として、若い女性の面とは区別されています。落ち着いて陰影ある深井の表情は、華やかで明るい小面とはまったく異なるものです。

小面か深井が女面を代表していた初期段階から転じて、能がさまざまに発達を遂げたのちには、各流派で独自の面を作り出そうとする動きが現われます。

金剛流では、うら若い既婚者の落ち着いた女性美を巧みに示す「孫次郎(まごじろう)」が創作されました。これは当時の大夫(今で言う家元)・金剛孫次郎久次(1538~64年)が亡妻の面影を写して打った(能面を彫ることを「打つ」と言います)品が最初と伝えられ、その名も「ヲモカゲ」と銘のある本歌(のちにコピーが作られる元となる本物)が東京の三井文庫に秘蔵されています。

これよりだいぶ後の時代、宝生流では、孫次郎に共通して若く大人びた表情の「節木増(ふしきぞう)」が占有面の位置を占めます。

小面を重んずる金春流でも、類似の替面としてより濃艶な表情の「万媚(まんび)」が作られます。これは半素人ながら絶大な力量で豊臣秀吉に重用された人気役者・下間少進法印仲高(1551~1616年)が、面打師・出目古源助秀満と考案したものと言われます。

深井を主用してきた観世流でも漸くこれにあきたらず、江戸初期・二代将軍徳川秀忠の頃、十代観世大夫左近重成(1601~58年)が名匠・河内大掾家重に依頼して打ち始めさせた近代的風貌の「若女(わかおんな)」が創作されました。

室町後期から江戸初期という、古典芸能としての能の固定期に定められたこれら流儀別の特色は、現在も通例として各流で踏襲されています。

女面の中には、人間以外の役にも使用する面もあります。

さきほど「節木増」を挙げましたが、これは「増(ぞう)」の面の中ではむしろ傍流。世阿弥と同時代の能役者・増阿弥が創始したとも伝えられる本来の「増=増女(ぞうおんな)」は、創作面としては古い由緒の面です。清澄崇高な趣を湛えた本来の「増」は、温かみのある「節木増」と区別する意味で「泣増(なきぞう)」と別称します。これは天女や女神の役に用いる格の高い女面として存在感を誇りますから、小面その他の人間らしさとはまったく違う種類の女面と言えます。

【能面使用の実態】

能〈西王母〉前場 使用面:泣増
能〈西王母〉前場 使用面:泣増
能〈湯谷〉 使用面:小面
能〈湯谷〉 使用面:小面
能〈羽衣〉 使用面:小面
能〈羽衣〉 使用面:小面

以上すべて
シテ:塩津哲生(喜多流)
撮影:三上文規
※転載はご遠慮下さい。

流儀によるいちおうの定めは定めとして、能の役柄をどう演ずるかにも、能面の使用は大きな主張となります。写真に挙げた〈西王母〉(せいおうぼ)のシテは中国の伝説上の女神ですから、これには「泣増」が最適。また平宗盛の恋人がシテの〈湯谷〉(ゆや・喜多流以外では〈熊野〉と表記)は、女神でも幽霊でもない生身の美女ですから、これには通常各流儀の若い女性用の通用面が当てられることが多いのです。

かといってこれらは固定的なものではありません。

たとえば〈羽衣〉(はごろも)の天女を演じようとする時には、深井は別として、先ほど挙げた小面・孫次郎・節木増・万媚・若女・泣増のすべてがいちおう使用可能なのです。これらは役柄をどう演じたいかによって本来は選択されるべきで、言い換えれば、演技の外面的手順や詞章・音楽はまったく同じであっても、小面を用いた〈羽衣〉と泣増を用いた〈羽衣〉とでは、内面が異なるはずなのです。

こうしたことがらは、書物の上でのみ学ぶことは不可能で、これは能と能面についてに限らず、舞台演劇の宿命とも言えます。能面が舞台の演技と切り離せないように、世界演劇の中で最も優れたもののひとつである能も、能舞台の上で演ぜられるのを見なければ、その本質に触れることはできません。

能面は、コレクションあるいは展観されるのが目的の美術品ではなく、あくまで舞台上で使われることを待っている道具なのです。

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