ことばと文化のミニ講座

【Vol.18】 2007.2   田村 良平

〈翁〉のはなし

〈翁〉の起こりと現況

一般の商業演劇と異なり、純然たる興行という形式をとらない能の世界では、年間を通じてさまざま独自の催しが見られます。

大きな流儀・会派で新年初めの催しを初会・初能と称し、最も正式な場合はその冒頭で〈翁〉が演ぜられる決まりになっています。もっとも、〈翁〉は正月に限ったものではなく、正式な能の催しには本来必ずこれが初めに置かれる定めなのですが、現在では初会以外には特別の記念能でしか見ることがありません。

翁とは老人のことです。端的に言えば、老人が天下泰平を祝福する歌舞が〈翁〉です。「能にして能にあらず」と言われる通り、本来がドラマである能と、この〈翁〉とは異なります。〈翁〉は祝福の芸能であり、広義の神事として、もともとは専任の芸能者が演じていました。宗教芸能の伝承者・翁太夫は、ドラマを演ずる役者とは別個の存在だったのです。

ところが室町時代、観阿弥の頃から、ドラマを演ずる役者が翁太夫の地位を脅かすようになります。それにしても老人の祝福芸ですから「宿老次第」、つまり「劇団の中で高齢順に」〈翁〉を勤める約束ではあったものが、観阿弥の子・世阿弥の時代になると、年齢順ではなく一座を代表する役者が〈翁〉を勤める例が定着します。その流れにある現在も、〈翁〉を演ずるのは家元とか会派の代表者という、演技の実力とは別の価値を負った役者が勤めることがほとんどなのです。

〈翁〉の内容

能では面をつけて演ずることが多いのですが、必ず楽屋で着面してから舞台に出ます。ところが、〈翁〉の場合は、面は面箱という特別の容器に入れて舞台に出、役者が舞台上で着面するのです。シテ方がつける白式尉(はくしきじょう)、狂言方がつける黒式尉(こくしきじょう)が現在常に使用される二面で、昔は父尉(ちちのじょう)という面をつけて舞う一段も付随していました。尉=老人ですから、古くは三人の老人がそれぞれに祝福の舞を舞うのが〈翁〉だったわけです。

白式尉は扇を持った手を豊かに広げた明朗な「翁ノ舞」を、黒式尉は鈴を振り足拍子を踏み鳴らして大地を目覚めさすような陰翳に富んだ「鈴ノ段」を、それぞれ舞います。両者に先立ち、白式尉の前座として千歳(せんざい)と呼ばれる若い役者が「千歳ノ舞」を、黒式尉の前座としてまだ面をつけない狂言役者が「揉ノ段」を、それぞれ躍動的に舞うのが好対照となっていますから、現在の〈翁〉は「動→静→動→静」の四段構成です。所要時間は全部で一時間ほど。

若々しい「千歳ノ舞」と「揉ノ段」がおめでたいのは何となく納得がゆくでしょうが、なぜ老人が舞う「翁ノ舞」「鈴ノ段」が祝福芸となるのでしょうか?

現在、「年老いる」ことはマイナス要素で考えられることが多いのですが、古来伝統的には、「年老いる」ことはプラス評価でもあったのです。中国でもこれは同じで、現代中国語で「老」とは良い評価に用いる文字でもありますね。平均寿命が短かった時代、長生きするということはそれだけで大したものだったわけで、何百年もの樹齢を誇る老木に驚異の生命力を感ずるのと同様、長寿を保った老人には特別の力が籠もっている、と考えたのです。『続日本後紀』を紐解くと、平安初期・仁明天皇の承和12年(845)1月10日に、当時130歳の舞の名人・尾張浜主が天皇の御前で舞楽〈和風長寿楽〉を舞い、賞賛を集めたという記録があります。『続日本後紀』は国家の正史ですから、ある程度以上の信用が置けるもの。その時、浜主は「翁とてわびやはをらむ草も木も栄ゆる御代に出でて舞ひてむ」と詠ったと言われます。歌意は「老人だとて引っ込んでいましょうか。草も木も繁栄するこのめでたい時代に、晴れの場に出て行って舞って見せましょう」という、意気軒昂なもの。「老人の歌舞が天下を祝福する」という文化構造がよく分かるエピソードです。この当時まだ能は確立していませんが、〈翁〉の淵源は当時にさかのぼり得るので、げんに現在使用する白式尉・黒式尉の面の中には、鎌倉時代の作かとおぼしい古作の名品が見られます。

現代における〈翁〉の意義

広い意味で、〈翁〉は神事です。ですから、現代でも上演に際しては厳重な決まりごとがあります。〈翁〉に携わる役者、ことに主立った者は、昔は7日間ないしは21日間、厳しい精進潔斎を欠かさなかったものです。獣肉を口にしない、女性と接しない、冷水を浴びて身を清める、などなど。多忙になった現在では大分ゆるむ傾向にありますが、それでも、たとえば「別火(べつび・べっか)」ということはおおむね守られています。神事に際して、火は最も神聖なもの、穢されてはならないものですから、タバコの火を着けるとか、世俗の者が煮炊きをするとかは、もってのほか。ですから、翁太夫が当日用いる火を隔離して、その部屋なり火鉢なりに「別火」と墨書した紙を貼っておくのです。他の者はその火に手をかざすことはおろか、近づいてはなりません。また、女人禁制が堅く守られますから、楽屋に女性が出入りするのはご法度。その中でも最も重要な祭式は「翁飾り」です。

舞台に通ずる橋掛かりの奥に鏡の間と呼ばれる空間があり、そこに粗薦(あらこも)を敷いた祭壇が作られます。白式尉・黒式尉の二面と〈鈴ノ段〉で用いる鈴が入った面箱が中央に祀られ、灯明・神酒・洗米・塩が供えられます。これが「翁飾り」で、能面は御神体として篤く敬われ、役者はこれを舞台上でつけて「神になる」わけです。白式尉を勤めるシテ方役者が〈翁〉全体の棟梁ですから、出演前にこの翁太夫を筆頭に出演者一同、鏡の間から楽屋に居流れます。「お調べ」という囃子方の音の調整(これは常の演能でも行われる)の前後に、翁太夫が祭壇を礼拝。後見が切り火(火打石の火花で四方を清める)を打ちます。「お調べ」が終わると、祭壇に供えた神酒を杯に注ぎ、翁太夫が飲み、洗米を口に含み、塩を嘗めかつ全身に振り掛けて身を清めます。続いて、舞台に出る役者たち末座まで全員が翁太夫に倣い同様の所作をして、一同の気を引き締めてからおもむろに整列。幕が上がると、面箱を捧げ持つ役者を露払いに翁太夫が続き、全員威儀を正して舞台に進むのです。

昭和58年(1983)9月16日 国立能楽堂開場記念公演初日の「翁飾り」
昭和58年(1983)9月16日
国立能楽堂開場記念公演初日の「翁飾り」

あわただしい現代では、以上のような煩瑣を極めた儀礼は次第に省略される傾向にあります。しかし、〈翁〉とは見世物ではなく、本来が祈りの芸能であり神事なのですから、楽屋内の厳しい規則や厳正なる翁飾りを軽んじては、本質が失せてしまうのです。 年頭に当たり能役者たちが〈翁〉を重んじ、これに伴う諸事を心から謹んで勤めるからこそ、能が単なるショーではなく、根源的な生命観に支えられた強靭独自な芸能であると再確認もできるわけです。今後も長く、さらに厳格に、〈翁〉上演の約束事が守られ続けることを切望します。 観客席のわれわれにとっても、〈翁〉開演直前、簾越しの鏡の間に揺らぐ灯明の明かり、遠くからカチカチと響く切り火の音は、能という舞台芸能がいかなるものであるかを思い正させるきっかけとなるのですね。

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