ことばと文化のミニ講座

【Vol.10】 2005.12   元本学科教員 井川 健司

畳の文化誌

1 あそびの中から

◆小倉百人一首

近頃は下火になりましたが、毎年寒中になると、中学や高校でカルタ大会がひとつのイベントとして定着し、カルタすなわち「小倉百人一首」の暗記に、皆が熱中していたものです。

今から八百年余り前、源平の戦いを経て武家の政権鎌倉幕府が誕生した時期、藤原定家(さだいえ)という大歌人が、京都郊外にある小倉山の別荘で、いま・むかしの歌よみ百人を選び、その各々の秀歌一首、計百首を色紙に書き残したものが、「小倉百人一首」です。

私が子供の頃、この「百人一首」を使った遊びに、"坊主めくり"というのがありました。百枚のカルタを、輪(わ)になって座った仲間の真ん中において、順々に一枚ずつめくって手中に所持します。五人でやると二十回巡りますが、二巡目からヒヤヒヤ・ワクワクが始まります。

カルタには、和歌一首とその作者の像が描かれ、天皇から法師までさまざまです。このうち、"坊主"をめくってしまうと、手持のカルタつまり財産は没収、賭け物にされます。逆に天皇・親王をめくると、賭け物を「いただき!」になるのです。

ところで、幼い子供に天皇や親王がわかったのか、というと実はわかりません。しかし漠然と偉い人とは感じました。なぜなら写真1を見て下さい。彩り豊かな、美しい「縁(へり)」の付いた厚い畳、これを見ると賭け物は「いただき!」なのでした。

後年、ひな人形のお内裏(だいり)さま、お雛さま、つまり天皇と皇后のペアが各々同じ畳に座っているのを見た時、畳と身分との関わりを直感しました。

2 畳

◆畳という文字

畳という文字は元来中国のもの、「チョウ・ジョウ」と発音し、意味は「重ねる」です。それが昔、日本に渡って「たたみ」と発音され、今日に至っています。しかし「重なる」意と「たたみ」とは、直ちには一致しませんね。

約一千年前の日本の文献を見ますと、畳造りに、わら(藁)・すげ(菅)・葦・麻・まこも(菰・薦・蒋)・い(藺)草などが準備され、編んで、「むしろ」として重ね合わせ、更に革や細縄で畳の土台を固めて、「畳床(どこ)」とし、麻糸などを使って、編んだ藺草などの「ござ」を、畳表(おもて)として仕上げたと思われます。勿論、畳の縁(へり)を付けて完成です。こう考えますと、漢語の意味と和語「たたみ」との結び付きが、理解できます。

なお、「たたみ」に該当する漢語が無いこと、及び中国や朝鮮は日本と異なり、椅子や台に腰かけ、敷物などに腰を下ろし、寝(ね)台に寝るのが生活習慣でしたので、畳は無かった、と考えられます。

◆畳の種類

さき程の文献によると、畳には幾種類もあり、一見不可解の現象を呈しております。

 長畳・短畳・厚畳・薄畳・狭畳

このうち、薄畳は厚畳の半分の厚さ、とか短畳は長畳の半分の長さ、などとは言えません。

例えば長畳には縦(タテ)5.9m・横(幅)1.1mのものがありますが、短畳には縦1.05m・横0.96mのものや縦1.35m・横1.02mのもの、その他のサイズの短畳もあります。縦6m・横1.08mというのは長畳に近いものです。一般的には縦2.4m・横1.08mが多いですね。

さて、この事実をどう考えますか。当時(平安時代)の寝殿造りと呼ぶ建物は、室内、室外すべて板敷きで、室内は襖(ふすま)や簾(すだれ)で思う広さに間仕切りし、自分が座るところには畳を置き(写真2)、家具類を移動させて室としました。また宮廷では多くの行事が各殿舎でありましたから、貴族の座をその都度設けます。先の6m程の畳などは、明らかに貴族が五、六人座を同じくする場に使われたと推定できます。この、座るべき場所に合ったサイズの畳を置く、また場所の広い狭いもそれぞれ、と考えますと、公私の使い道に沿った畳が必要だったと思われるのです。

◆畳のサイズと身分

次に興味ある事実を紹介しておきましょう。

短畳 一位 縦1.8m・横1.2m  二位 縦1.5m・横1.2m

三位 縦1.38m・横1.2m  五位以上 縦1.2m・横1.08m

この内容は、身分の上下により、畳の大きさに差を設けている事を語っています。四月(うづき)の衣更(が)えの時節、朝廷から支給される畳です。つけ加えれば、六位以下も五位とサイズは同じです。けれども畳の素材が質的に劣り、やはり身分差をつけています。

◆畳縁(べり)と身分

十五世紀の初め、昔からの決まり事を記した書に、畳縁(古くは畳端—ハシ—)に就き、天皇・上皇の畳には暈繝端(うんげんばし。写真3)、親王・大臣には高麗端(こうらいばし。写真4)、大臣以下の公卿(閣僚)には小紋の高麗端、四・五位の殿上人には紫端、六位には黄端を用いる。とあります。暈繝・高麗・紫・黄の織物は、模様や色彩の美及び材質の順位であり、それが身分と対応し、畳という貴重な生活用具に華を添えています。先の千百年前の記録には、天皇・上皇用の暈繝錦の織手は二人、と記されています。また『枕草子』には、中宮定子に仕えていた清少納言が、「畳は高麗端が最高!」とか、「目が細かく青い畳の厚いのに、高麗端の紋が鮮やかに浮き出しているのを見ますと、命が惜しく長生きしたくなります」などと言っています。后の畳は高麗畳だったのですね。

この平安時代の記録や資料を見ますと、上記十五世紀初頭の故実書の内容とは基本的な相違はなく、強いて言えば、古い時代の方が行事の性格や場所によって、各畳は柔軟性をもって使われていたのではないか、とみなされるのです。

3 畳・畳縁・現代

現代の私たちにとって、畳とはどのようなものなのでしょう。五輪の種目に柔道があります。日本固有の武道が国際的に認められ、それに伴ってマットではない「畳」が使われます。日本独自のものと認識されました。その一方で、畳が役目を果たしている筈の家屋から、畳が、和室が徐々に然も確実に減りつつあり、それに替わって洋室が多くなっているようです。この現象は、日本固有のものが意識されないまま、消えていくひとつの姿、なのかもしれません。

私は子供の頃、畳の縁を踏むと親に注意をされました。経験のある人も多いのではないでしょうか。理由を尋ねても親は答えられません、「いけないからいけない」ですね。

私は畳縁と身分との関係を知って、千数百年間脈々と続いた私達先祖の、生活文化の延長線上に、かろうじて今生きているのではないか、そう思うのです。

学科の取り組み