ことばと文化のミニ講座

【Vol.9】 2005.11   勝又 基

親孝行を証明できる?

授業での問いかけ

「あなたは親孝行ですか?」大学の授業でこのように問いかけると、「そうだ」と自信を持って答える人も少なくありません。

しかし、「では、自分が親孝行だという事を世の中に証明する事はできますか?」と質問すると、たいていの人ははっきり返事ができません。しばらくして「大学に行けたから」「親に迷惑をかけていないから」「健康でいるから」など、いくつかの答えが返っては来ますが、これだけの理由で「ああ、この人は本当に親孝行だなあ」と世の中を納得させる事は難しいでしょう。

ではなぜ、「親孝行だと世の中に証明する事はできますか?」という質問は答えにくいのでしょうか?それは簡単に言えば、「実際の親孝行と、たとえ話の親孝行とは違うから」なのです。

少し説明しましょう。実際の親孝行というのは、先にも見たように「大学に行けたから」「親に迷惑をかけていないから」「健康でいるから」など、けっこう地味なものだと言うことができます。しかし、このような地味な話で、世の中に「ああこの人は親孝行だな」と分かってもらうのは難しいのです。簡単に言えば、インパクトに欠けてしまうのです。

他人に伝えて、自分が親孝行だと分かってもらうためには、少々大げさな話をしなければなりません。ここに、実際の親孝行とは異なる、孝行者だという事を他人に伝えるためのたとえ話、すなわち「説話」が生まれるのです。

『二十四孝』を例に

通俗修身二十四孝』(明治16年(1883)刊)より「呉猛」
『通俗修身二十四孝』
(明治16年(1883)刊)より
「呉猛」


『通俗修身二十四孝』より「虞舜(ぐしゅん)」
『通俗修身二十四孝』より
「虞舜(ぐしゅん)」

では、どのような「たとえ話」をしたら、他人を納得させられるでしょうか?

そのような「たとえ話」で最も有名なのが『二十四孝』という書物です。これは古い中国で出来たものですが、日本でも広く読まれたものです。そのいくつかを絵で見てみましょう。

挿絵の「呉猛(ごもう)」は何をしているのでしょうか?親が寝ているそばで、上半身裸になってうつぶせています。少々見えにくいですが、背中には黒い点がいくつかあります。 この黒い点は何でしょうか。そして、これがなぜ親孝行という事になるのでしょうか。

じつは、この黒い点は蚊です。母親が蚊に刺されないために、自分が代わりに刺されようとしているのです。

いかがでしょう。単に「大学に行けたから」「健康でいるから」と言うよりは、この一つの強烈なエピソードによって、彼の親孝行ぶりが印象づけられるのではないでしょうか。

これは親孝行の説話の手法の一つです。呉猛が行った並はずれた「苦行」を示す事で、彼がどれほど孝行者であったかを示そうとしているのです。

さて、次の「虞舜(ぐしゅん)」はどのような親孝行なのでしょうか。

畑を耕す子供のそばに白い象がいます。周りには鳥が何匹か飛んでいるのが見えますでしょうか?

これは虞舜があまりに親孝行なので、象や鳥までもが感心して、虞舜の農業を手伝ってくれた、という逸話を絵にしているのです。

さきほどの呉猛が極端な行動を示して親孝行ぶりをアピールしていたのに対し、虞舜では、「親孝行をしたのでこんなに良い事がありました」という、「結果」を示す事で親孝行ぶりを示しているのです。

説話のおもしろさ

この他にも『二十四孝』に出てくる親孝行は、激しく苦しく極端な行動や、見方によっては都合の良い奇跡によって孝行者が幸いを得る話ばかりです。しかしこれは「たとえ話」。  実際の親孝行と同じレベルで考えてはいけないものなのです。

従来の研究を見ていると、この「たとえ話」をマジメに受け取りすぎて、「呉猛のやっている事は親孝行とは言えない」とか、「虞舜のように、奇跡にたよるような親孝行は非現実的だ!」などと怒っているものをよく見かけます。 しかしこれは「たとえ話」なのですから、我々はその極端さ、発想のおもしろさを味わうべきでしょう。

そしてこのような「たとえ話」の世界は、親孝行の世界だけではありません。 仏教を広めるため、女性の生き方を示すためなど、色々な場面で用いられてきました。 そして我々の日常生活に今でも見ることができる、時代を超えた文学的行為でもあるのです。

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